根拠のない自信だけで生きてきた

ふざけた事を真面目に考察するネタブログです

30代男が初めての美容院に挑戦してあたふたした話2

この記事は前回の初めて美容院に行って6ミリの狭間に挟まれて死にかけた話の続きです。こちらから先に読んでください。

 

jo-nny.hatenablog.com

 

 

後ろの刈り上げを6mmにするのかどうするのか。僕は美容師に問われた。

 

僕は言った。勇気を出して言った。

「お願いします!」

 

なぜこの程度の言葉に勇気を出さなければ行けなかったのか。

それは僕には6mmが長すぎるのか短すぎるのか。どうなるのか全くわからないからである。初めての美容院。そもそも6mmがどれぐらいか知ってるのなんて野球部ぐらいだ。初めて何かを始める人間なんて大体そんなもんだ。

 

こんなもんは生後3ヶ月の子供に資本主義と民主主義のメリットとデメリットを聞くようなもんだ。僕が言える言葉なんて「ばぶー?」以外無いのである。

 

 

6mmの話を2個目の記事にまで長々書いても仕方ないので結果を書くととてもいい感じに仕上がった。美容師様様である。

 

その後、全体のカットの段階に移行した。

「どのぐらい切りますか?」

「!」

 

僕は2つ目の問題にぶち当たった。なぜならちょっと前に写真を見せたばかりだからだ。写真を見せて、その通りにして欲しいのだ。それを実現するためにどれぐらい切ればいいのか、それをこちら側で把握しているこそすらもオサレワールドでは当然のことと言うのか?

 

確かにオシャレに生きオシャレに死ぬ、その世界の住人ならどこをどう切ればどうなるのか。そんなことは当たり前のことなのかもしれない。

そんなことがわからない人間は美容院というオサレ界の最高峰とも言える場所に来てはいけないのかもしれない。

 

だが僕はその程度で挫けるわけにはいかなかった。僕は東京の美容院に行き、そして今度も通い続けたいという野望があるからだ。

 

だから僕は言った。言ってやったのだ。相手を屈服させるであろう一言を。

「どれぐらい切ったらいいと思います?」

 

勝った。知識のないものができる最大の返答だ。この言葉を言うことで知識のない者でも知識ある人の上に立つことができるのだ。正解を相手に委ねるとともに相手を試すかのような形を作ることができるのだ。

 

「うーん。とりあえず毛先1cmぐらい切ってみましょうか。」

 

…チョキチョキ

 

…チョキチョキ

 

「どうですか?」

 

まさかこんなことが起きるとは思わなかった。美容師はただ単に毛先を1cm切ったのだ。その挙句に「どうですか?」だ。

これに僕はなんと返せばいいのか。美容院初体験の僕が、どうですか?に意見を言えると言うのか…。

 

どう考えても物足りない。僕の求めているイメージには程遠い。だがどこをどう切ればイメージに近づくのか。それが僕にはわからない。

 

ベジータがセルにビックバンアタックを打つ。セルは受ける。だが砂煙の中から無傷で立ち上がる。そしてセルは言う。

「どうですか?」

 

ベジータに言える言葉なんて「なん…だと…」と言って気功砲を連打するぐらいしかない。なぜならもはやどうしていいかわからないからだ。

 

僕は不満があった。1cm切った髪型に。

1cmしか切っていないんだ。何も変わっていない。それなのに「どうですか?」なんて聞かれてなんと言えばいいんだ。

 

 

僕は言った。渾身の力を振り絞って。

「いいんじゃないですか?」

 

こうして僕の美容院初体験は終わった。刈り上げられた襟足と1cmだけ切られた髪のまま店を後にした。

 

 

PS.最後のシャンプーの時にあったかいタオル渡されたんですがアレなんなんですか?10秒ぐらいで返したけど。

30代男が初めての美容院に挑戦してあたふたした話

 

まず始めに言っておくが、30歳独身初めての美容院だからと言って、常に床屋で角刈り。ランニングにスウェットで常に外出するようなおしゃれに無頓着な人生を送ってきたわけではない。

 

服装には気を使っていたし、美容院に行かなかったのは、ただ単純に親父が美容師だったからである。

親父に切ってもらっていたから美容院に行かなかっただけである。そこを十分に理解してから、本記事は読んでください。

 

 

なお、人間にはどんなことだろうと初めてというのはある。初めてのお使いや初体験。遅い早いはあれど、初めてをバカにしてはいけないのである。

初めては何においても挑戦だ。

 

世界初の4回転ループ成功した羽生君も挑戦したから成功したのだ。初めてに挑戦したから金メダルを手にしたのだ。アダムとイブが、人類初の性交をしたから僕らは今生きているのだ。

 

今回はそういう次元の話だ。たとえあなたが週一で美容院に通うオサレマスターだとしても30にして初めて美容院に行ったという事実を、決して笑ってはいけないのだ。もしあなたがそれを笑うなら、あなたは今この世界にいないのだ。笑われたアダムとイブが性交をやめたら、あなたは生まれておらず、今の世の中はなかったかもしれないのだ。それを十分理解したならこの先に進んで下さい。

 

美容院というのはまさにオサレの塊ともいうべきもので、店内ではオサレ用語がさも当たり前のように飛び交う。

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そのためおおよそ日常的にオサレと接し、オサレとともに生きてきた人しか入ることが許されず、未熟者はオサレワールドに狂わされ、精神を侵され、ゲシュタルトの波に飲まれてしまう。

 

今日もそうだった。

 初めての美容院に緊張しながら入店し、席に案内された。

無造作に雑誌を置かれ、美容師が後ろに立ち唐突に言われた。

「サイドツーブロックにしてますか?」

 

名誉のために言わせて頂くと、【ツーブロック】という髪型は知っている。刈り上げ部分と刈り上げじゃない部分が共存しているいわゆる2面性を持った髪型のことだ。

 

僕は元々サイドを刈り上げていた。

だからそう聞いてきたんだろうが、日常的にツーブロックという言葉と馴れ合い、共存していない僕にはイマイチ意味がわからなかった。

 

人間というのは、たとえそれが知っていた言葉だとしても、引き出しの浅いところにあるか深いところにあるかで別のものが出てきてしまうのだ。

突然「ツーブロック!」と言われた僕は即座に髪型につなげることができなかった。何を思ったのかそれを脳内で英語に変換し「tweeblock」と思い描いた。そしてそこから導き出されたものは「seableeze」であった。

なぜかは知らない。おそらく語感というか字面だ。

「seableeze」とは爽快感を売りにした商品を出しているブランドでその中にシャンプーがある。僕の美容院という空間に置いてツーブロックはseableezeよりも遥か奥底にしまってあったのである。

 

そして問われているのはシャンプーのことだととっさに判断したのだ。

ツーブロックは使ってません」

 

美容師は硬直した。なぜなら僕の髪型はまさにツーブロックそのものだったからである。

 

そもそもサイドを刈り上げている時点でそれはツーブロックなのだ。わざわざ確認する必要もない。いや、美容師的にはこの刈り上げが意図的なものか、それとも偶発的なものなのかを確認する必要があったのかもしれない。

 

つまり僕の「ツーブロックは使ってません」という答えは、ツーブロックを意図していません。という意味の返答になるのだ。

 

それにしても意図的でなく偶発的に刈り上げが発生することなんてあるんですかね?もしかしたら他の客で寝返りが異常に激しく、意図せずに枕との摩擦でサイドが擦り上げられてしまった人が以前に来たのかもしれない。

僕はそうではない。言ってから気づいたのですぐに「あっ!ツーブロックにしてます!」と言いなんを逃れたのだが、席について早々に難問にぶち当たったのである。

 

次に美容師に今日はどんな感じにしますか?と問われた。

そのそも僕はそれまでの人生、髪型はほぼ親父に任せてきた。

 

親父はいい感じにと言えば適当にやってくれた。

 

ただ僕もバカではない。それでは通用しないことは事前に調べてきた。

だからホットペッパーで写真をチョイスしてきたのだ。

 

「こんな感じで」

僕は写真を見せた。

「写真だと後ろも刈り上げてますね。後ろも刈り上げますか?」

 

「お願いします!」

僕は後ろの刈り上げを頼むことに成功した。元々これが本来の目的だったのでこの時点でほぼ目的は達成したも同然である。

だがまだ目標は達成していなかったのだ。

 

「何ミリにします?」

僕「!」

 

何ミリ…だと…?

そもそも人は数値を決めるときに、その数値でどういった結果が得られるか、ある程度予想を立てて行うものである。

だが僕の中に、何ミリでどんな感じになるかなイメージがないのだ。

 

なぜなら僕は坊主にしたことがない。親父にサイド刈り上げてもらった時も、「横刈り上げて」で事足りた。

 

だから何ミリでどうなるかな想定がないのである。

 

美容師は続けた。

「6ミリでどうでしょう?」

 

それを聞かれて僕はどうすればいいのだ。

6ミリがいいかどうかの基準が僕にはないのだ。

 

例えばカレーを作るときにじゃがいもどのくらい、人参どのくらい、にくどのくらい。そういう想定はできる。だがそれはカレーというものを知っていて、じゃがいもを知っていて、そしてどのぐらいの大きさかを知っているから決められるのだ。

 

僕はまだこの世界では生まれたての子鹿だ。美容院というのはオサレワールドにおいて、まだ立つことすらできていない子鹿だ。軽くひねれば首は容易に死んでしまうのだ。誰かが支えてくれなければ、僕は生きて行けないのだ。

 

支えを失い、今僕はまさに6ミリの波にのまれようとしている。6ミリの波に足元をすくわれ、6ミリの狭間に潰されるのである。

 

長くなってきたので次回に続きます。

人間はいつまで手で尻を拭くのだろうか。

今日朝の日課である健康的な排便をしていて思ったことだ。人は一体いつまで手を使って尻を拭かないといけないのだろうか。

 

もちろん手と尻の間には紙があるのだが、聞くところによると大腸菌は紙など容易にすり抜けて手まで到達してしまうらしい。

 

あなたはこれをどう感じるだろうか。例えば手にモロに運がついた場合は発狂では済まない。これがもし動物の運だった場合はまぁしょうがないかぁぐらいで洗って済ますのだろうが人糞の場合は別である。

 

あぁああああ!!!である。

手をちょん切って付け替えたくなる。洗っても洗っても綺麗になった気がしない。

精神は汚染され、アイデンティティは崩壊する。僕が僕である理由を見失ってしまうのだ。手に運がついた。ただそれだけで。

 

それぐらい汚染された気がするのは僕だけだろうか。いや、そんなはずはない。

人間の運に対する感情は尋常ではないはずだ。

 

つまり人間は、毎日自我崩壊のリスクと戦いながら尻を拭くのである。

 

思えば食器は食洗機で洗い、部屋は掃除機でブーンぐらいまで科学は進んでおり、手を汚さずに物を綺麗にする技術は進んでいるはずだ。

 

にも関わらずトイレに関しての進化といえば、草で拭いていたのが紙に進化したぐらい。この前野糞愛好家の人が草で尻を拭くって話をどこかで見たけど、あれほど不愉快な記事はなかった。

 

尻を拭くに当たって、ウォシュレットという言い訳は通用しない。あれはあくまで補助であって仕上げは手だ。手なのだ。ウォシュレットでは運は落ちきらないのだ。手が必須なのだ。

紙をただ重ねた頼りないフニャフニャの物体を隔てた手なのだ。頼りない紙をいくら重ねたところで、頼りないものは頼りないのだ。

 

頼りないものを頼りないまま、頼りないものに頼り、そして僕は尻を拭くのだ。毎日毎日、頼りない紙に頼り続ける毎日なのだ。頼りない紙に自我を任せる。これほどのリスクを毎日負う必要は、21世紀の今もまだ失くせないのだろうか?

 

 

 

思えば人体を洗うと言う行為を考えた時に、人間は未だ手から離れられない。離れることができないのである。

 

 

話はわき道にそれるが、なぜ人間は排泄物をこれほどまでに嫌うのだろうか。

食べ物を見ると美味しそう。

 

だがそれが人体を通過すると文字通りクソだ。クソとはつまりゴミ以下の存在である。

 

この感覚は一体なぜだろうか。垢なんかもそうだ。

元々人体についていたものにも関わらず、それが剥がれ落ち、改めて肌に着くととても嫌な気持ちになる。

 

一説によると、それらは人間にとっては死骸に見えるらしい。

だから畏怖感を覚え、体に寄せ付けたくないのだ。これは一体なんの話だ?

垢ごときでは流石に僕だって自我を保てる。だが運は違う。

 

 

こんな話で1200文字を書ききってしまいましたがどうでしたか?

という事で、そろそろTOTOさん手を使わないで尻を綺麗にする何か作ってもらえないでしょうか?そろそろ頼りない紙に頼るしかない僕から卒業したいと思っております。何卒。

 

カツセマサヒコ、さえり、その界隈のライターに鳥肌が立ってしまう。

まず始めに言っておくと、カツセマサヒコさんさえりさんの文章はとてもうまいと思うし、ジャンルは違うけどセールスライターとして文章を書くのに読みやすい文という点で言えば参考にしたことは何度もある。

 

だから全然嫌いとかではないんだけども・・

ないんだけども・・

 

 

無理。

 

無理でしょこんなの。鳥肌が立ってしまう。

これ僕だけですか?僕の中の共感性羞恥が全力で警報を鳴らしてる。マンションの隣の部屋で殺人事件でも怒ったんじゃないかってレベルで警報が止まらない。

 

さえりさん表情がクッソタイプだし記事も読みたいからツイッターフォローしてたんだけど、あまりにも見ていられなくて解除しました。

 これって一体どこの層に受けてるんですかね?恋に恋してる中学生ぐらいしか見れないでしょ。

 

無理。

 

そもそも彼らはそう言ったキャラクターが受けて今や売れっ子なわけで、彼らの方向性は確実に間違っていないんだろうけど、なんですかね?

人の恋愛願望とかまじで聞きたくなくないですか?

 

 

ギャグならいいですよ。

ギャルのパンツしゃぶりて〜っつって。

 

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※注)実際女のパンツなんて汚くてしゃぶれたもんじゃありません。 

 

でもさ、

 

 

 

 

 どうした?

 

 

 

なんと言いますか、そりゃあ僕だって女の子と青春っぽいことをする妄想をすることはあるのだれど、それはやっぱり妄想の中だけであって、そしてその妄想は絶対に表には出さないもんだ。

 

本当は彼女とア●ルファックしてることをよっぽど仲良い友達にしか言えないのと一緒。自分の性癖をインターネットという海を泳がせて世界に届ける。

 

そんなことできます?しかも顔写真載せて。

 

 

中学生の頃に特に怪我してないのに腕に包帯巻いてたこととか、何もないのに眼帯つけて学校行ってたこととか、実名で世界に公開できますか?

 

そんなもん「あーーーー!!!」ですよ。

「ああああーーーーーー!!!!」ってなる黒歴史じゃないか。

 

 

多分彼らに感じる寒気はまさにそれ。

自分が絶対に出したくないものを平気で出す感覚。黒歴史を世界に向けて大声で発表。

 

だからこそそれを見せられると寒気が止まらなくなる。こっちが恥ずかしくて見ていられません。

 

 

さえりちゃんの記事は好きです。

カツセさんの記事も好きだけど写真の表情作りだけは受け付けません。

これからも面白い記事

 

 



期待しています。

 

それでは。

 

 

 

30にして宿題の意味がやっとわかった

やる気が出ない。だいたい休みの日は昼過ぎ13時とか14時に目が覚める。

昼過ぎということもあり腹が減る。

でも、どうしても起き上がることができない。家に食いもんもない。

家にいるとマンション1階の宅配ボックスに行くのさえめんどくさい。徒歩5分のコンビニに行くとなるとかなりの心構えが必要なレベルだ。

 

 

これって僕だけですかね?

なんの予定のない休日のコンビニと長期休暇の旅行と同じぐらいの気持ちを作らないと動けない。

 

動こう!と心に決めて動き出すのにだいたい二時間はかかる。

 

ただこれが仕事になると割とテキパキ動ける。外出ガンガンするし、なんなら休憩に徒歩5分のコンビニすぐ行くし。

 

これなんなんですかね?休みになると体のすべての機能が低下してる気がする。

絶対フリーで仕事なんてできない。

 

 

僕と同じように何か始めようと思ってもそのせいで動けない人って結構いる気がする。

 

休みに家から出ない30台独身。

 ズドンとくるね。心の深いところに。

 

 思えば人生の全ては「やる気」一つで決まってきた気がする。

大学受験は勉強がめんどくさすぎて専門を選んだし、就活はあまりにも動き出さない僕を見かねて先生が勝手に申し込んだ会社を受けてそこに就職した。

 

僕の人生のほとんどは「やる気のなさ」だけで全てが決まってきた。

そう言えば小学校の通信簿でも成績はいいのにやる気が感じられないって書かれてたな。

 

お母さんにずっとやればできる子と言われ続けて何もやらずに気づけば30。

何もしていない30歳。重みが違うな。

 

やらない後悔よりやる後悔というのはその通りで、やればやった分得られるものはあるのに、やらなければ何も得られないんですよね。

このブログに関しても5年前からやろうやろうと思い続けてようやく動き出したわけです。構想5年。このくだりは以前書いたな。

 

小学校の頃は宿題なんてやる意味がわからなかった。学校で勉強したのになんで家出までしなければいけないのか。ずっとそう思っていた。

でも違いました。あれめちゃくちゃ大事なことだったんですね。

 

宿題とはつまり、家でもやる気を出す練習だったんです。

学校だけでなく家でも勉強をする練習。

もっと早くそれに気づいて、やる気を出す方法を身につけていれば、きっとまた人生はいまと違ったんじゃないかと思う。

 

 

そんな僕が30にしてようやく気づいたやる気を出す方法は、とりあえずちょっとだけやるです。文章を書くなら人文字だけでも書く。それがだるければPCだけ立ち上げる。PCの前に座る。

なんでもそうだけど、一番大変なのは始める段階であって、0から1を作る作業であって、初めてしまえばなんのことはない、だいたいそのままできます。

 

それでもできない人は何もできません。素直にいますぐ呼吸を止めましょう。

 

それでは

クリープハイプから見る「性」と「エロ」についての価値観の変異

クリープハイプ。好きなんですよね。

ただ出て来たばっかの時は正直売れないだろ。と思ってた。

 

まぁコアなファンができる系のバンドで長く続くけどでかい売れからはまーしないとと、行ったらストレイテナーとかピロウズとか、ライブとかフェスでは人気だけど一般層には全く受けない。そーゆー系かと思ってたんですけど、

今もはやコンビニでも普通に流れてる。「イト」とか映画の主題歌だし。

 

がっつり売れたよね。

 

なんで売れないかと思ったかって言うと

クリープハイプの曲ってエロがベースだし、ドロドロして聞きたくないようなことを歌ってる。だからこそ俺は好きなんだけど、曲名「エロ」ってどう考えればそんな曲名つけるんだよ。

 

と思うけどそもそも売れたきっかけってこの曲だよね。

もしくは「ラブホテル」か。

 

 

で、なんで売れたのかってのを考えるのに、今の世の中「性」についての価値観が変わったよなーと思うんですよ。

 

一昔前は「エロ」=隠してなんぼだったし、俺が小学生の頃とか、普通にまだ神社の裏に捨ててあるエロ本こっそり読んでたし。

親父もAVの棚に南京錠つけてたし。あれって子供が見れないようにだったのか?

南京錠付けるって逆に開けろって言われてる気分だったぞお父さん。

 

 

ちなみに僕が初めて見たAVは母ちゃんと親父がやってる素人ハメ撮りでした。

サッカーのシール貼ってあるからサッカーのビデオかと思ったら全裸の男女が二人。

やべー!親父AV持ってるー!!!

と思ってよく見たら見知った男女。

 

あれ・・この人なんか見たことあるな・・

お父さん・・とお母さん!!!

 

え・・なんでこんなのビデオ撮ってんの・・

 

まだハメ撮りなんて文化を知らなかったピュアな僕はそれからしばらく両親を汚い存在と思い軽蔑しました。

 

未だにアレを保管してた気持ちは全く理解できません。まだ取っておいて居るんですか?もう僕もいい大人になったのでもし見ていたら教えてください。

 

 

脱線しました。

 

そもそもここ最近まで思いっきり「リアルな性」を歌った曲なんか、それこそゴイステとか、キワモノ扱いのバンドぐらいしかやってなくて、一般に大きく売れるなんてあり得なかった。リップスライムとかがネタ的に、あくまで下ネタの笑いであったり、もしくは恋愛の曲の本気の恋の果てにあるものみたいな扱いだったよね基本。

 

音楽以外でも、もちろんみんな頭では「セックス」=本気の恋なんて思ってないと思うけど、それを暗黙の了解として「愛」としていて、それをわかった上で音楽の上ではそれを愛と歌っていた。

 

 

でも今、と言うか最近はかなり変わったよね。

セックスはスポーツってほどではないとしても、気軽なもの。当たり前のこと。

付き合う=セックス。

 

一昔前なら付き合っててもセックスしてるなんて言えなかったし、ビッチなんて本当に汚れたもの。みたいな扱いで誰も公言しなかっただろうに、今はもはやネタ扱い。「私ビッチだから」とか言う女までいる始末。

 

近寄るな本当に性病が移る。ヤリチンとビッチ間で性病交換してろ。ピュアな人間を巻き込むな。ワンチャンある?とか思っちゃうだろうが!「今度あったらセックスしよう」とか女が歌ってんじゃねぇ!

 

 

今の「性」の現状が全て悪いものとは思わないし、むしろこっちも気軽に誘えて楽なんだけど、そのせいで「性」の重みというか、愛情表現としての価値観が薄くなってる気がして、それはそれでちょっと悲しくはある。

 

例えば初めて会ってその日にするセックスと、付き合って半年かけてようやくするセックス。同じもんではあるけど価値が全く違うし、精神的な気持ちよさも全く違う。

 

やっぱり半年かけてようやくセックスした人の方が断然大切にしたいと思うし、すぐに股開く女は信用できない。

 

短絡的な価値で言ったらびっちの方が需要はあるけど、長期的に見たらやっぱり「性」は安売りしちゃいけないと思います。

 

そーゆー世間的な価値観の変化があって初めて、今のクリープハイプの立ち位置はあると思う。

 

なんでこうゆう価値観になったのかについても考えて見たいけど、本日はこの辺で。

 

今はすごく気軽で身近なものになった「性」だけど、もう一度その行為の意味を考えてもいいんじゃないでしょうか?

 

それでは。

 

 

 

所属したくないし何者にもなりたくなんかない。

どこにも所属したくない。誰にも縛られたくない。誰にだってそんな気持ちはあるかも知んないけど、その点僕は結構その気持ちが強いんじゃないかと思う。

 

会社に所属しているサラリーマンではあるんだけど、会社のものになりたくないんだよね。

どうしたって会社でも自分を発揮したくなる。

就活生なんかに言いたいんだけど、社会に出て何よりも実感したことは、

会社は個性なんか求めてません。

求めているとしても、会社の歯車の中での個性。歯車としての個性でしかないってこと。

 

言われたことを言われた通りにやってくれる人を誰よりも欲しがります。

欲しがるんですけど、人材採用側のスタッフなんかは個性を見るとおっ!なんか他の人と違う!とか思って採用しがちです。

 

まぁまさに僕はそれで採用されて、最初はものすごい期待するんだけど、自分のやり方と会社のルールの違いに何度も揉めに揉めて最近はとてもうざがられています。

悲しいな〜。笑

 

もし揉める内容が「会社のため」という大義名分であったとして、上司が納得してくれたとしても、それ自体をウザがる会社はめちゃくちゃ多いと思う。

 

なぜなら新しいことを始めるとなると仕事がどうしたって増えるからです。

ルールを変えるには色々なしがらみを突破しないといけないからです。

 

だから会社は基本的に「既存のルールの中で仕事を成功させる」ということを求めます。それがどれだけ間違っていたとしても。

そんで既存ルールでどうしようもなくなってようやく動き出します。

 

要は会社は基本的に個人と一緒ってことですよね。

めんどくさいこと始めるより現状維持っていうベースの中でできるだけ成果をあげられりゃそりゃあ最高だし、リスクを持って新しいことに挑戦するのは怖いです。

 

だから結局個性を出す人は淘汰されます。

誰だって部下は自分の言いなりになってくれる人がいいもんね。

 

これなんの話だ?書き出して3行ぐらいで脱線したな。

というか書いてて思ったけど、所属したくないんじゃなくて出来ないんだな俺が。

 

理不尽なこと言われて黙ってられる人とか本当すごいと思ってしまう。すぐ喧嘩してしまいます。

 

 

本題に戻します。

例えば好きな子ができて、付き合うまではグイグイ行くんだけど付き合って相手が自分にグイグイ来ると、なんか引いてしまう。

〇〇ちゃんの彼氏という立ち位置になりたくない。

彼氏としてこうあるべきみたいなことが始まるともう本当に耐えられない。

 

僕は僕なんだから彼氏=〇〇みたいな常識を押し付けないでくれ〜!無理〜!常識という海で溺れてしまう。

 

相手が自分に何かを求め出すと自由にしてくれ!っっていう。

ちなみに僕彼女と寝てると無意識に乳を揉んじゃう癖があるらしいんだけど、

よりによってそれが発生するのが相手が行為を求めてきたのを断った夜に限ってその癖が発揮されるのでとても困っています。

だいたい翌朝「本当にやめて」ってマジギレされます。

寝てる時のことをやめてと言われてどうすればいいんですかね?

寝返りうつのやめてと言われてやめないでいられます??

 

今日はちょっと脱線が止まりません。

 

なので今日はこの辺で。

それでは。