根拠のない自信だけで生きてきた

ふざけた事を真面目に考察するネタブログです

拝啓。「注射が好き」と言っていた松沢君。お元気ですか。

小学生の頃、友人の松沢君は予防接種の度にみんなが怖がる中、

 

「俺注射好きなんだよね。」

 

と言っていた。おそらく貴方の周りにもこういう人はいたんではないだろうか。なんなんでしょうかね、アレ。もしかしたら松沢君はガチホモで、AVでよく言うぶっといお注射の話をしていたのかもしれないが、それを語り出すと色々今までの思い出が汚れてくるのでここでは普通の予防接種の話とさせてもらう。

 

 

あの頃は松沢君すげー!と思い、こんなに嫌な痛みが好きな人もいるもんなんだな。と思い、僕も「べ…別に注射怖くないし!」とビビり丸出しで言った。

 

大人になってわかったが、松沢君のアレは強がりだったんだな。と20年ほど前のことようやく気づいた。

 

小学生なんてのはベクトルの間違ったカッコつけで生きているようなもので、僕もちょっとした擦り傷で大げさに包帯を巻き、黒龍を左腕に住まわせている演出はしたものだが、幾ら何でも注射が好きと言うのはインパクトが強すぎてずるいだろう。

 

人間の言葉というのは文字通りの意味と違う意味を持つ場合が多い。

 

「その日予定あります」は「行きたくありません」という意味だし

「今充電切れてて…」は「あなたとLINE交換はしたくありません」という意味だ。

今まで何度も間違えました。でもワンチャンあると思って今後も充電器を貸した上で連絡先交換しますのでどうぞよろしくお願いします。

 

あの日の「俺注射好きなんだよね。」の本来の意味は、「注射怖がってるお前らと俺は違うぞ」という意味だ。

 

松沢君が喧嘩している姿は見たことがないが、その一件があってから周りからの評価はあいつはヤバイということに変わり、漫画でよくいる殴られれば殴られるほど気持ち良くなってくるタイプのような扱いになっていた。

 

アレは松沢君が望んだものだったのだろうか。

 

心理学的には人間は人に見られたい自分を演じる性質があるらしい。

松沢君はきっと単純に【強い男】という肩書を手に入れるために注射が痛くない自分を演じていたんだろう。だが現実はそううまくはいかず、ドM体質の変態に変わってしまっていた。

 

 

余談だが僕は30になる今でも注射が怖い。だが、健康診断の注射は好きだ。なぜなら健康診断を専門にやっているところは、結構若いお姉さんがスタッフで働いており、綺麗なお姉さんに注射をされることがよくあるのだ。

 

そして僕は注射をされる時に、はっきりと自信を持って「僕注射怖いんですよね!」とお姉さんに伝えることにしている。

 

するとどうだろう。お姉さんは途端に子供を見るような目で僕に接してくれる。

「痛くないですからね〜」「すぐ終わりますからね〜」

と母性丸出し、もはやお母さんさながらに優しくしてくれるのだ。これがたまらない。

 

時には

「もうちょっとだけ我慢してね!すぐ痛くなくなっちゃうから!もうちょっとだけ頑張ってね〜」

と敬語すらやめて僕を励ましてくれるのだ。

 

30歳の男だ。厳しい現実に追われ、仕事に追われ、毎日何かに責められながら生きている30歳の男を、日常で僕を甘やかしてくれる人などいないのだ。

そんな中、健康診断のお姉さんだけは、僕を小学生のように甘やかしてくれる。それはもはや赤ちゃんプレイのようなもの。僕は健康診断という大義名分のもとに、会社のお金で赤ちゃんプレイを楽しんでいるのだ。これなんの話だ?

 

「注射が好き」と言っていた松沢君だが、2年程前にシャブ中で捕まった。噂だが家には注射器などが散乱していたらしい。

 

あれ…?強がりじゃなかったんだ…。

死ぬまで性欲を持て余したジジイの話

移転しました。

価値の下がるマンコと変わらないチンコ

マンコの価値が下がっている。それに対してチンコの価値は一向に上がらない。

 

本来チンコとマンコは相対するものである。男女の数がほぼ同数ということから考えても、どちらかの価値が下がればどちらかは上がるのが本来の形である。にも関わらず、チンコの価値は一向に変わらない。本日はその事を真剣に考えて行きたいと思う。ちなみにこの文章はおしゃれなカフェで書いている。隣の客がチラチラ僕のPCを見ているのを感じる。

 

下がるマンコの価値

ここ10年ほどの間、マンコの価値はどんどん下がっている。

その背景にはアダルト業界、そして風俗産業の発展がある。 ネットの世界では普通に恋愛していたら絶対に出会えないであろうレベルの美女がマンコを平気で晒しているし、コンビニのエロ本ですら可愛い子がいる。風俗に行けば普段手が届かないはずの女性が僕を慰めてくれる。

 

10年ほど前だったらこうはいかない。ババアの垂れた乳をおかずに抜く。風俗で高い金を払い、訳ありの手首に傷跡がある女性と行為に及ぶものだ。AVでも画面のほぼ半分以上を隠されたバカでかいモザイクを目を細めて見ていたのだ。今昔のAVなんかを見ると画質が荒過ぎで肌色が気持ち悪いことになっているのを感じる。

 

リアルの世界でも、女性との出会いの頻度も圧倒的に増えている。

5年ほど前でも、出会いは合コン、職場、度胸のあるやつはナンパぐらいのものだった。それが今はどうだ?ネットでの出会いが一般化され、女性と出会う機会は家でゴロゴロしながらでも手に入る。マンコにありつける機会が圧倒的に増えたのだ。

 

これによって何が起こったのか?マンコの価値の暴落である。

10年ほど前であれば、女性というマンコが付いているというだけでもてはやされていた。おっさん連中は相手が女性というだけでちやほやし、ワンチャンスを狙っていた。

 

だが、今はそんな必要はなくなったのだ。なぜならムラムラしたら、画面の中には可愛い女性が待っているのだ。安い値段でもそれなりの女性に相手をしてもらえるのだ。だからマンコが付いているというだけで、女性をちやほやする必要はなくなった。

 

 ではそれに対するチンコはどうなったか?

 

これが本日の話の主題だ。マンコの価値が下がった。上記の通り、これに関してはもはや議論の余地はないほどだと思う。

 

ではそれに相対をするもの。そうそれはチンコだ。

 

マンコの価値が下がれば、間違いなくチンコの価値が上がるはずだ。それが相対する存在というものだ。以前は圧倒的高みにいたはずのマンコ。その価値が今ようやく落ちてきたのだ。

 

そしてチンコの価値が上がればそれはちょうど同数値。男女の均等化に至るはずなのだ。

 

…だが違った。

チンコの価値は変わっていないのだ。

変わったのは極一部の東証一部上場チンコだけである。

 

マンコの価値がどんどん下がる。おそらくこれからマッチングアプリなどが増え、ネットでの出会いがどんどん広がり、VRなどでセックスの疑似体験。AVの作品や女性の質が上がれば上がるに連れて、マンコの価値は下がり続けるのだろう。だが、現状ここまできても、一般チンコの価値は一ミリも上がっていないのである。

 

 なぜか?

 

それはマンコの価値が下がるのと同様。

女性がいいチンコと出会う機会も圧倒的に増えたのである。これもマッチングアプリの功績なのだが、女性も男性と出会う機会は男と同様、それが家でゴロゴロしながらでも出会えるようになったのだ。

 

今までは彼氏欲しいなと思ったら合コンや婚活パーティーなどに赴く女性が多かった。出会いの絶対数が少なかったのだ。それがネットでの出会いというコンテンツが増えた。女性も出会いを探しているならチンコの価値上がるじゃん!と思うかも知れないが違うのだ。出会いの価値が増えるということは男を選り好みできるようになったということだ。

 

出会いの絶対数が少なければ女性もある程度の妥協が必要だ。だが出会いの絶対数が増えた今、女性はより良い男と出会うことが可能になったのだ。

 

男は多数と行為に至ることを好むが女性は違う。より優秀な遺伝子を求めるのだ。

 

 

 

どういうことか?

 

これによって起こったのが、優秀な遺伝子を持つ東証一部上場チンコによるマンコの総取りだ。

女は優秀な男に群がる。そして優秀な男は片っ端から女と関係を持つ。優秀なチンコだけがどんどん価値が上がり、女はそれだけを求めるのだ。

 

これはマーケティングの市場と同様だ。

スマホが所有率が上がったとはいえ、どの機種も同様に増えたわけではない。結局はiphoneが他を圧倒。他に流れたとしてもiphoneと同様のスペックを持っているものだけなのだ。無名な中国企業スマホなどは極一部の層や安さだけを売りにして売って行くしかないのだ。

 

女は優秀なチンコの存在に気づいてしまったのだ。うまくエスコートができ、かっこよく収入もある。そして自分がそういう男に出会う機会がある。その可能性に気づいてしまったのだ。そして女側はマンコの価値が下がったことを正しく把握していない。

 だから遊ばれて終わるのだ。なぜならマンコがあるだけで男はよってこない時代になったからだ。

 

 

結局価値の低いチンコは価値の低いまま。極小企業。自転車操業チンコは自転車操業のままなのだ。

 

僕は一刻も早いマンコ独占禁止法。そしてオチンポ価値均等法の成立を願う。そして今日も僕は画面の中の美女に慰めてもらうのである。

興味のない人と喋るのって楽しい

少し前までマッチングアプリをやっていて、数人の女性と飲みに行ったことがある。今風に行ったらマッチングアプリだが、要は出会い系アプリ。始める前は普通に生活していて男に相手にされないやばい人たちの巣窟と思っていたんだが、不思議なものであなた全然モテるでしょ。っていうような人が何人もいた。最近のマッチングアプリは凄い。普通に可愛い子がいる。

 

マッチングアプリは簡単に言ったら、写真数枚と、年齢、身長や体型、居住地、職種、性格、自己紹介、あとまあ色々とプロフィールを見て、相手にいいねをしてお互い気があったらメッセージのやりとり。そこからLINEに移行して会う約束をする。

 

実際に僕もガッツリやってた時は週一ぐらいで別の人と飲みに行っていた。あれはなかなか貴重な体験でかなり初対面の人とのコミュニケーション能力が鍛えられた。知らない人と話すのって楽しい。マッチングアプリの場合は女の子の大半が一昔前の出会い系サイトのようにすぐホテルみたいな感じではなく、本当に職場などで出会いがなく恋人を求めてやっている人が多い。だからなのか、載せている写真も会った後のことを考えて、あまり実物とそこまで大きな差がない人が大半だった。だから合コンなんかより手軽にいろんな人と出会えて楽しいということで一時期ハマっていた。

 

その日も身長153cm、体型普通。写真も可愛い。そんな人と会う予定だった。メッセージでの会話も弾み、趣味も合いそうで、僕はかなりの期待をしながらお店を予約した。その日は仕事帰りの約束ということもあり、朝シャンを決め、髪をしっかりセットし、普段より少し高めのジャケットを羽織りって出勤した。

 

19時。いつもより早めに仕事を切り上げ、職場の駅前の喫煙所で一服をし、「これから向かうね」とLINEをしてから待ち合わせの新橋へ向かった。すぐに「わかった!」と返信が来た。

 

待ち合わせはSL広場。20時の待ち合わせ。少し早めに着いた僕はトイレで髪をチェックし、ミント系のガムを買ってSL広場に向かった。

 

20時まで後5分。「もう着いたよ!」僕はLINEを送った。

 

「私ももう着いてるよ!」

 

すぐに返信が来た。ドキドキした。何人と会っても待ち合わせの時間はいつも緊張する。

 

僕は辺りを見渡した。SL広場は待ち合わせの定番スポットとも言える場所で、平日ながらそれなりに多くの人がいる。僕は端から端まで歩き、その人を探した。

 

だが、しばらく探してもそれっぽい人が全く見当たらなかった。

 

「あれ?どんな服装してる?」

 

僕は彼女にLINEを送った。

 

「Gジャンに白のスカート!」

 

すぐに返信が来た。

 

辺りを見渡す。だがどうしてもそれっぽい人が一人も見当たらない。

どうしようもないので逆に探してもらうことにした。

「全然わかんない!僕マツキヨの前にいるんで来れますか?」

「わかりました!すぐ行きますー!」

 

すると、一つの大型の物体が動き出した。

 

「え…」

 

実は探していた時、Gジャンに白のスカートという人は一人だけ見つけていた。だがそれは意図的に除外していたのだ。語弊がないように言っておくが、写真を盛るという文化は知っている。だから探していた時にも顔写真はそこまであてにしていない。何人か会った中には顔が全然違う人もいた。だから顔が違うという部分で除外したのではない。まずプロフィールに書いてある体型と大きく異なっていた。体型は普通。確かにそう書いて会ったはずだった。だが僕が見渡した時のGジャンに白のスカートは明らかに肥満。デブだった。Gジャンはパツパツ。本来受け入れるはずのサイズを大きく超えていた。

 

…だが違う。写真だけしか見ていない人と待ち合わせをしているのだ。体型ぐらい見栄を張るのだって考慮できる。体型が違うぐらいで僕は候補から除外することはないのだ。

 

ではなぜ僕が検索対象から彼女を除外したのか?

 

彼女は身長153cm。確かにそう書いてあったはずだ。探しながらも何度も確認した。

だが動き出したその彼女は、明らかに僕よりも身長が高く、おそらく170以上はあるだろう大きさだった。「ヒールでしょ」そんな声が聞こえて来そうだが、それだってしっかり確認した。完全にペタンコの靴だった。

 

153cmの小柄で可愛い女の子を待っていたら、そこには170cmの肥満体型。結婚相談所で看護師を探してもらったら相撲取りを紹介されたようなもの。ペットショップで猫を飼いに行ったらカバを売りつけられたような衝撃。

 

正直別に相手がブスだって僕は大して気にしない。ブスやデブと飲むことは良くある。だが巨漢のプロレスラーはダメだ。横幅だけなら許容できるが、縦幅もあっちゃダメだ。怖すぎる。万が一喧嘩になったら張り手一発で殺される自信がある。

 

「ジョニーさんですか?」

僕にはそれがメデューサに見えた。目を見たら石になる。

「は…はい…」

 

カツアゲをされている気分だった。「その場でジャンプしてみろ」そう言われるんじゃないかと、すでに僕はいつでもジャンプできる体制を取っていた。

 

「すぐわかりました!写真の通りですね〜」

彼女はそう言った。僕はまともに顔をあげることができなかった。

だが既に店は予約してある。やっぱりやめましょうは店に申し訳ないし、そもそも話してしまった手前、もう逃げることはできない。ダークソウルのボス戦を思い出した。入ってきた道が霧のようなもので塞がれていた。

 

僕は覚悟を決め、店へと向かった。並んで歩く僕らはまさに親分と子分。いや巨漢の彼女の脇に小柄でヒョロヒョロの僕だ。漫画で言ったら真の実力者は僕だ。そんなことはどうでもいい。

 

「予約していたジョニーです」

そう言って店に入った。店員のこの2人組はなんだ?カップルには見えないし、無理やり連れて来られているのか?という表情が見て取れた。

彼女は見た目の似合わず声はとても女性的で可愛らしい話し方だった。だが完全に僕のストライクゾーンからは大きく外れており、恋愛対象としては一ミリも見えなかった。だから僕はもう覚悟を決めた。この時間、この瞬間を全力で楽しんでやろうと。

 

そこからは僕の独壇場だった。失礼のない範囲で全力で彼女をいじり、そして自分の好きな話をし続けた。彼女も思い切り笑ってくれた。こういう場合美人や好きな人相手だとこうはいかない。相手を気遣い。相手の興味のありそうな話題を振り、相手に気持ちよくなってもらうために僕は行動する。

 

だが興味のない相手だとその必要は全くない。全力で笑いに振り切った話をし続けた。チャラかった時代にナンパしてホテルまで行ったのにチンコが立たなかった話や、中学時代に親父の部屋のビデオを見たら両親のハメ撮りビデオだった話。こんにゃくでオナニーをしようとしてレンチンしてから挿入したらチンコを火傷した話。おしゃれなカフェで僕は普段女性の前では絶対にしない話をし続けた。その結果僕は今まであった誰より楽しい話、面白い話をすることができた。

 

彼女も彼女で自分がどれだけ女として見られないかを笑い話として延々喋ってくれた。僕は人と話すときにこれほど自分をさらけ出したことはないかった。楽しかった。自分の女に対する意見や、不満。求めること。全てを話した。人生でもかなり濃密な2時間だったと思う。興味の一ミリもない相手だからこそできたことだった。その頃にはもう彼女にあった時の不安や恐怖は一ミリもなかった。

 

存分に楽しみ。ラストオーダーの時間が終わったので店を出た。時間は11時。

 

彼女は言った。

「もう少し一緒にいたいな…」

 

「いや明日早いんで」

僕は足早に家に帰った。

旧姓という文字にゾクゾクする

LINEの友達一覧の画面を眺めることがある。プロフィールに一言を入れる人BGMを設定してる人。お気に入りの歌詞や座右の銘、何も入れない人、様々な人がいるが、その中で異彩を放つのが【旧姓:〇〇】である。

 

この文字を見るとあっさりした文章とその重みにゾクゾクしてしまう。下半身に響く。

 

ヤベェやつ来たと思ったかもしれないが、勘違いしないでほしい。カップルを見たり、妊婦さんを見たりして「セックスしてるーー!!」ってゆうそうゆうアレではない。そんな童貞臭の溢れ出る男子中学生のような浅はかな思考ではない。LINEのプロフィールなどという気軽な場所に、あまりにも重たい意味のある旧姓という文字があることに僕は発情しているのだ。

 

旧姓というのは、姓を捨て、新しい人生を歩み出したという意思表明なのだ

 独身から誰かの夫になり、名字が変わった。単純に名字を変えてしまうと結婚の事実を知らない友人たちがわからなくなるから旧姓も入れる。実際はそれだけの単純な話なのだが、この旧姓という文字には、深い意味があるのだ。

 

数々の恋愛を得て、色々な悩みもあり、考えに考え、この人が一番だと決意して結婚した。そうして今の姓がある。私は過去の自分ではない。私は過去の田中かなえでは無く、今はもう新しい高橋かなえなのだ。そういう熱い決意を感じ取ってしまう。

旧姓という文字を見るたびに僕の頭では尾崎豊が「ぼくーがぼーくであるために!」と大声で歌いだす。そして盗んだバイクで走り出す。

 

アンパンマンが顔を変えるのとは訳が違うのだ。私はこの男を選んだ。失敗するなんて微塵も思っていない。田中を旧姓と呼んだことは、かなえにとってはもう田中に戻る気は無い、なぜならそれはもう過去の姓なのだ。かなえの旧姓という主張にはそういう決意があるのだ。その決意が、LINEの、ただの文字の一言から垣間見えてしまう。

 

例えば好きなアーティストの歌詞を書く人がいるが、あんなもんに対した意味はない。この歌詞に感動しました!その文字の発する意味はそれだけだ。感想は「そうですか」だけである。座右の銘だってぼくはこの言葉を大事にしている!と言われたところで「はいそうですか」で終わりである。

 

ところが旧姓という文字は、見る人がみれば衝撃なのだ。例えば元カノの名前の横に旧姓と書いてあったら、それだけでセンチメンタルになれる。それが好きな女だったどうだ。さらには現彼女だったりしたら最悪だ。もはやただの文字ではない。旧姓という文字には一人の人間を壊すほどの力があるのだ。

 

この話広がるか?と不安になってきたが安心してほしい。旧姓という文字はエロいのだ。 

 

本格的にヤバいやつになってきたかもしれないが安心してほしい。僕は夫婦という事実そして自分がうまれたという事実にお父さんとお母さんがセックスしてることを知り、お父さんに嫌悪感を抱くような処女丸出しの女子中学生ではない。旧姓という文字が持つ属性に発情しているのだ。

 

 旧姓という文字には旦那を感じない

旧姓という文字には、人妻属性があるのだ。気をつけて欲しいのは、夫婦属性ではなく、人妻属性ということ。人妻というのは、いわば男にとってみればセックスシンボル。エロスの塊。人妻とぶつかればうっかりちんぽ入っちゃった現象も起きると本気で思っているのが男だ。

 

だからと言って夫婦を見たり、結婚式に行って新婦にエロさを感じることはない。なぜならそこには旦那が必ずいるからだ。旦那がいる限り、女がまとうのは夫婦属性だ。だが、LINEのプロフィール文という無機質な空間において、かなえに旦那は存在しない。そこにあるのは旧姓という文字が表す人妻アピールそのものなのだ。【かなえは人妻になりました】そう書いているのと同意義。名前の横に旧姓と置くことで、かなえはたちまち人妻属性を持つ。さらには徹底的に旦那の存在を隠せば、未亡人属性すら持ちうるのである。

 

 

例えば初めて知り合った女性に自己紹介で「高橋かなえと申します。人妻です。」と言われるとどう思うだろう。一気にその女性にエロスを感じるんじゃないでしょうか?「ひっひっ人妻だーーー!!!」ってなるんじゃ無いですか?違いますか?ところでこの話誰か一人にでも伝わりますか?

 

1600文字も書いちゃったけどこれ誰にも伝わらない気がしてきました。

かなえって誰ですか?本日は以上。それでは。

寿司と伝統とサブカルと

あなたは女性に寿司を食べたいと言われた時、どこに連れて生きますか?

 

先日彼女に寿司を食べたいと言われた。彼女とはまだ付き合って3ヶ月程度。そして僕は別段お金持ちではない。

 

1人で寿司を食べるときは会社帰りの通りにある回転寿司で済ますし普通にそれを美味いと思う。では彼女はどうなのか?僕にそれを知る術はない。察してくれ!という気持ちで「どんな寿司?」と聞いてみたところ、「うーん。サーモンとかホタテが食べたい!」と言われた。いやいやそーゆーこと聞いてんじゃないよ!

 

 

人と人の会話には大抵の場合、相手の想定する答えというのがある

 

どんな音楽聴くの?という質問には相手に自分と同じ趣味を期待するものだし、何食べたい?に対する「なんでもいい」は食べたいものにある程度の幅があって決められないという意味だ。だからその幅の中のものを答えなければハズレなのだ。

 

寿司食べたいに含まれるお前の中の正解の幅はどこからどこなんだ…?

 

この場合寿司ほど回答の幅があるものもなかなかないと思う。寿司はあまりにもピンキリ。すきやばし次郎を代表する高級料理としての一面もあれば、1皿100円のものもある。

 

僕も30歳男子だ。そこそこ値段のする寿司を一度食べたところでそこまでダメージはない。ただ、今までに彼女と寿司を食べに行ったことはない。つまり初寿司だ。ここでの答えは相手にとって見れば“僕の正解”となるのだ。今後寿司と言ったらこの初寿司がベースになるのだ。これから先を考えればじわじわ効いてくるボディーブローにもなりかねない問題だ。

 

彼女は別に気取ったタイプでもなければ気を使う間柄でもないんだが、ここで100円寿司に連れて行くのはどう考えても不正解だろうし、三十路として僕も恥ずかしいがじゃあ1皿300円だと逆に100円寿司を避けてギリギリをついたみたいな魂胆が見えてなんかやだし。逆にそれなりのちょうどいい寿司屋ってなかなか無くない!?

 

余談なんですが、寿司ってゆうのは伝統ある食べ物みたいな扱いをされてるけど、元々はでかい握り飯にネタをくっつけて醤油を塗った言わばおにぎりみたいなもの。当時の人にとっては今のファストフードみたいな感覚だったらしいですよ。誰だ寿司を高級料理にしたやつは。お前が高級料理にしなければこんな悩みは生まれなかったんだ。何が高級料理だ。魚を米に乗っけただけじゃねぇか!!!

 

そもそも僕はあまり食に興味がない。むしろ食べるという行為がめんどくさいし1日1粒で1日の栄養も空腹も満たせるサプリ早く完成しないかなとすら思ってる。高い美味しい物を食うより旅行に行ったり服を買ったりしたい。寿司にそこまでの価値を求めたくないのだ。というか寿司ってそんな値段で変わります?ぶっちゃけ伝統にお金を払ってるだけで味はどこも大して変わらないと思います。米がふわふわとか、ネタが新鮮とか、その程度の違いはあるかもしれないけど、その差に数万の価値があります??こちとら舌バカで通ってるんじゃ!天然と養殖の違いとかわからんわ。人間で行ったら箱入り娘が養殖でイケイケギャルが天然ってことだろ!!お前らは箱入り娘とイケイケのギャルどっちが好きなんだ!違うな。言うなら風俗が養殖で素人が天然か。やっぱ天然の方がいいわ。でも素人が10万で風俗嬢が1万だったらどっち行きます?…微妙だな。

 

だいぶ脱線してきたので一旦元に戻します。

 

結局僕は寿司の回答が出せずに、僕はハンバーグが食べたい!!と5歳児顔負けのワガママを展開してことなきを得たのですが。そもそもいい加減寿司を高級料理にするのやめませんか?って話なんですよ。美味いけども。作るのにめちゃくちゃ手間もコストもかかってるならわかる。ツバメの巣は入手がめちゃくちゃ困難だから高いわけで、高い=うまいわけではない。こめとネタの仕込みに1週間かかるとかならわかる。でも寿司は築地で魚仕入れて捌いて米に乗せて。大変かもしれないけど値段ほどの価値なくないですか?まぁ店の雰囲気づくりの一環としての値段設定なんだろうけどね。

 

一時期寿司はサブカルの流行最先端になった

ところで一時期、もう廃れたかもしれないが、サブカル女子に寿司が大受けした時期がある。もう一年前ぐらい?ヴィレバンで寿司をモチーフにしたグッズが大量に売られていた。サブカル関係は嫌いじゃないんだがあればマジで全く意味がわからなかった。当時のサブカル女子は「寿司可愛い!!」と行っていたが僕からするとマジで頭おかしいのか?とすら思ってしまいましたよはい。

サブカルはそもそもメインカルチャーから外れたものなんだから、そもそも流行ってものと別の次元だと思ってたんです。

サブカル女子の間で流行って矛盾してません?サブカルの中にもメインカルチャーってあるの??サブカル女子なんてそもそも流行にノレずにサブに行った人たちじゃねぇのかよ。僕はメインのゴリゴリ働いて残業して金を稼いでる同世代の波に乗れないからこんなサブのサブとも言える場所でブログ書いてるわけですしおすし。

 

お前らは本気で寿司を可愛いと思ってるのかと。サブカル女子で流行だからサブカル主張のために寿司グッズを身につけてるだけじゃないかと。サブカルは本来自分が好きなものを追求して行き着いた先でしょうに。サブカルでまで流行に乗るのやめようよ。

 

高級料理から100円料理からいつにはサブカルの象徴にまでなる。寿司のピンキリは値段の幅だけじゃなかったんですね。と言うことで彼女に好きが食べたいと言われた場合は僕はハンバーグが食べたいんじゃ!!と叫ぶ。これが正解です。

 

本日は以上。それでは。

画質の悪いAVに興奮する

ど直球の下ネタです。ちなみに今浅野いにおと音楽の関係を書いた記事と28歳で初恋の人を抱いた話を並行して書いてるのですが、浅野いにおの記事にかれこれ3週間、初恋の話に1週間かかっているのにこの記事は約一時間で完成しました。下ネタは正義。下ネタなら無限にかける気がする。

 

 

最近のAVはどれもハイビジョン。とても綺麗ですね。チンコもマンコもめちゃくちゃ高画質。本物が目の前にあるぐらい。昔、僕らの世代なんかはVHSの色褪せたザラザラの画面で可愛くもない女のセックスで興奮していたのに。どでかいモザイクでギザギザになったマンコに興奮してたのに。携帯で30択ぐらいこーゆー■■■■■■■が大量に並んでいて1つが正解のエロ画像、残り全部広告のふざけたサイトで必死になってエロを探していたのに。AVの5分間だけの画像を30分ぐらいかけてダウンロードして見ていたのに。全然うまくもない中学生の方がもっとうまい絵描くぞっていうエロマンガをわざわざ学校帰りに公衆トイレで制服から私服に着替えてエロ本屋に入って買ってたのに。*1

それが今じゃ高画質なエロが無料で見れる時代。無修正さえ無料で見れる時代。おじさんは今の子が羨ましいですよ。

 

でもね。でもこれだけは言っておきたい。

 

汚い画質だからこその興奮というのはある

 

エロっていうのはね。綺麗ならOKじゃないんですよ。リアルならOKじゃないんですよ。聞いてんのかSOD!

例えばエロを扱った芸術。女優のヌード写真集とかじゃないぞ。あれは芸術じゃなくてただのエロだ。裸婦のデッサンとか、ビーナス像とかね。あれで興奮できますか?はっきり言ってデッサンが上手ければうまいほどエロさを感じないと思う。逆に全然うまくないのに乳首らへんがちょっととんがってたらなんかエロい。もっと言えば凸って漢字だけで乳首と考えるとエロい。美しさを求めるとエロさはどんどん無くなるんですよ。

壇蜜に色気を感じても新垣結衣堀北真希にエロを感じないのも同様。いやガッキーに求められたら抱くけど全力で。そこはもはやエロとかどうでもいい。純粋に愛。

 

エロマンガの世界で言うとわかりやすいけど、一般紙エロの最高峰、ToLOVEるなんかがいい例。あれで抜けますか?綺麗な線、綺麗なスクリーントーン。絵はめちゃくちゃ上手い。ただ、あれにエロさを感じれるだろうか?僕はほぼ無理。興奮しない。僕だけか?僕だけだったらこの記事丸ごと話が通じなくなるな。まぁいいか。ここは俺のエロを語る場所だ。

 

いいか?エロは綺麗なものじゃないんだよ!!

女性の裸は綺麗か?遠目で見たら確かに綺麗かもしれない。でもさ、マンコってグロいじゃん。乳首もよく見ればボツボツしてるし。綺麗なピンクな女なんてほぼいないだろ。女だって寝起きの口は臭いし、マンコは普通に臭い。(ちなみに一度シャワー浴びずにマンコ触ったら臭すぎてチンチン勃ちませんでした。どんだけ洗っても3日匂いとれなかった。あれ何だったんだろ)

 

エロは美しいものじゃないんですよ。エロは汚れたものなんです。エロは隠すべき汚点なんです。

綺麗な女優が綺麗なベットでプロのカメラマンに撮られてた映像を綺麗な画面で快適な空間で見たってエロさは半減するばかりなんだよ!!!わかれそんぐらい!!お前らだって男だろうが!!!!!

エロはなぁ…エロっていうのは!!!橋の下に落ちてるきったないエロ本をこっそり家に持って帰って見つからないように家族全員が寝静まった後に真っ暗な部屋で懐中電灯を忍び込ませて布団の中で読むのが一番興奮するでしょうが!!!!

 

 

すいません取り乱しました。

 

でもパッケージが綺麗な女優がなきゃ売れないというのもわかる。わざわざブスのAV買わないし。だからAV業界がこうゆう流れになるのもわかる。でもね、ネットサーフィンで有料だったら絶対見ないやつの中にこそ宝はあるんです。

 

どれだけ画質が進化しようと、綺麗に見れればエロいわけじゃないんですよ。隠れてるからこそエロなんです。だからと言ってモザイクがあればいいってわけじゃない。汚い画質で無修正なんだけど画質のせいで大事なところが良くわかんないぐらいがベスト。

 

目悪いんだけどコンタクトしたまま抱くより裸眼でよく見えないまま抱く方が興奮する。男ってそういうもんでしょう。

 

僕は最近昔好きだった画質の悪い昔のAVを見てこの子も歳をとったのかなぁ…とセンチメンタルに浸っています。

 

*1:制服だと売ってくれない