[Alexandros]はただの邦楽ロックに成り下がった。
今最も勢いのあるロックバンドといってもいいであろう[Alexandros]。彼らは夢を捨ててしまったんではないだろうか?
BUMP OF CHICKENはロストマンで夢を捨てることを歌った。夢を捨てそれでも前に進んできて、そうしてたどり着いた道をここが正解だと歌った。
[Alexandros]も今まさに夢を捨て、新しい道に踏み出したんではないだろうか。
バンドの分岐点を明確に判断するとても単純な方法がある。
それは英詩メインだったバンドが日本語を織り交ぜてきて、徐々に日本語メインになって行くことだ。英詞メインで歌っているバンドがなぜ英詞で歌っているのかといったら、ルーツが洋楽だからだ。洋楽に憧れて音楽を始める。そしたら当然目指すものが洋楽なんだから英詞になる。英語の勉強から始めるのがそういうバンドの特徴だ。
勉強は全然できないのに英語だけ必死で勉強してるバンドマンいませんでしたか?
悲しいことにそういう奴に限ってその英語すらできない。
洋楽から入って日本語で歌うバンドもいるだろうが、そう言うバンドはだいたい日本で売れることを目指している。目標が違うのだ。英詞で歌うバンドは海外で、洋楽の一つとして売れることを目指しているのだ。
当然日本で売れたいなら日本語で歌う方が確実だ。事実英語の曲で日本で大売れした日本人バンドなんてほぼいないんではないか。
[Alexandros]もまさにそれ。完全にルーツがUKロック。
もともと彼らの目標はイギリス最高峰のフェス、グラストンベリーフェスのヘッドライナーになること。わかりやすく言うとOasisとかが出る舞台。世界一のロックバンドってことだ。だから初期の曲を聴くとまさにUKロック丸出しの英語歌詞。まず日本人の一般受けはしない音楽だった。
クッソかっこいいな。こんなカッティングとスラップ完全に使いこなした曲今のバンドで作れるやついないだろ。
この曲を聴いたときに、あぁ本気で世界を狙ってるんだなと思った。このころは[champagne]って名義。名前自体もOasisの曲名からとったらしい。そのころは川上洋平も見た目を売りにすることなんかもちろんなかった。それからしばらくして彼らがフランスのシャンパーニュ地方から訴えられ、名義変更を余儀無くされたことを知った。まぁ別に名前が変わったところで何が変わるわけでも…と思っていたんだが…
それがしばらくして久しぶりに聞いたらこれだ。
言わずもがな [Alexandros]を爆発させた大ヒット曲。だが最初に聞いたときはあれ?メンバー変わった?と言うか川上以外全員変わった?と思った。いや、実際邦楽ロックとしては他のバンドを寄せ付けないほどの曲の完成度で、だからこそ今の人気があるんだと思う。曲自体も当然普通にかっこいい。
だけど…なんと言うか…
普通の邦楽ロックじゃんこれ…。
UKロックの面影はあるが、完全に構成が邦楽のそれ。どうしちゃったんだヨウペイン。あの頃は前髪で隠していた顔も気づけば前髪は短くなり、イケメンヅラをたらしこんでやがる。メガネで三つ編みだった東城がコンタクトにして髪を解いてしまった気分。違うんだよ東城。お前の良さはそこじゃないんだよ…。
売れるのはわかる。実績としてはそれなりに下積みもあり、それだけの実力がある。[champagne]時代にもCityなんかで邦楽ロックよりの曲はやっていたし、そう言う曲ができるのなんかずっと前から知ってた。
でも…当時[champagne]が目指していたのはそこじゃないはずだろう。
クッソかっこいい…
このころの[champagne]はどこに行ってしまったんだ。
[champagne]と言う名義とともに世界一のロックバンドは諦めてしまったのか。鼻に絆創膏張ってしまうような厨二感が心を揺さぶってくれたんじゃないのか。
地味で目立たなくてもそれでも良さがあったから東城が好きだったのに…お前が目指すのは西野じゃないだろう!お前が可愛さを求めたって西野には勝てないだろう!
洋楽ロックは日本ではヒットしない。どれだけOasisが世界で売れようと、日本で大ヒットすることはない。だから日本寄りに移行するのは別に悪いことではない。
でも[Alexandros]。お前らの目標はグラストンベリーフェスのヘッドライナーになることじゃなかったのか。
I wanna fly so high Yeah,
I know my wings are dried
「翼仰げば」って人は云うその向こうにあるは無情
飛べる者 落ちる者
誰も見てない 気にも留めない それでも飛び続けた
改めて聴いてみると、ワタリドリはまさに[champagne]時代のことを歌った曲なんじゃないかと思う。完全に僕の妄想だけど。
傷ついた言葉乗せ運びたいから
追いかけて届くよう僕等一心に羽ばたいて
問いかけて嘆いた夜故郷は一層輝いて
ワタリドリの様に今旅に発つよ
UKロックに憧れて、パクリ疑惑や名義変更などの壁にもぶつかっても一心に羽ばたいて、それでも超えられなかったのが洋楽との壁なんじゃないかな。
メジャーに移ってからとか、いろいろな憶測はできるけど彼らはいわゆる邦楽ロックバンドになった。UKロックの面影は曲を重ねるごとに薄くなっている。確かに日本では確実に今の方が評価は高いだろう。でも、そっちに進んだら世界一のロックバンドになんかなれないだろう。そっちにあるのは良くて紅白ぐらいだろう。
ワタリドリの様に
いつか舞い戻るよありもしない
ストーリーをいつかまた会う日まで
こんな [Alexandros]は見たくなかったなと思うけど、舞い戻ると言ってくれた川上洋平がもう一度世界を目指すことを期待したいと思う。元の三つ編みメガネに戻ってくれ洋平。教室の隅でこっそり小説を書いている地味系女子に戻ってくれ東城。
それまで僕はもう一度イチゴ100%を読み返すことにします。
ちなみに僕は西野派でした。
以上です。
漫画村は業界を潰すのか??
ツイッターやらなんかでは漫画村は潰す勢と擁護勢がずっと平行線の議論をかれこれ一年ぐらい続けているコントみたいな状況。しかもそれがだいたい業界無関係勢だからウケる。文化が潰れる!つって。お前らは漫画村のことより他のこと考えろ。
確かに海賊版は今の出版社には今現在としてはいい影響は与えないだろう。そりゃあだって無料で読めるサービスがあれば漫画買わないからね。
でも文化が潰れると言うとどうなんだろう?と思ってしまう。
例えば最近大流行りの子グマのケーキ屋のカメントツさんは無料で書いていたツイッター漫画が爆当たりしていやは売れっ子。
こう言う状況を見ると、別に無料でのサービスが悪いと言うことはないんじゃないかなぁ。文化が潰れるって考えでいくと、それはないだろう。だって無料で見せれば文化は普及する。今まで手に取らなかったような漫画も無料なら見るって層は相当いるだろう。漫画村のおかげで有名になった漫画家もたくさんいると思う。それが収入に直結するかは別にして。それで文化として広がれば、漫画が娯楽になって、いざ潰れたらお金を落とす人は漫画村ができる前よりむしろ増えると思う。まぁなかなか潰れないのが問題なんだろうけど。
ただ、実際海賊版によって痛手を受けるのは出版社であって、漫画家個人で見ればやり方はいくらでもあると思う。音楽は今ほぼシングル曲は全部YOUTUBEに上がっている。要はシングル曲には広告塔となってもらい、ライブやグッズ、YOUTUBEにあげないアルバム曲なんかで売り上げを立てているんだろう。
海賊版はむしろ漫画の可能性を広げるかもしれない
別に海賊版がいいと言っているんではないが、このまま海賊版が広がるのであれば、漫画業界全体がやり方を変えればいいだけだろうと思う。前述のカメントツさんなんかは漫画自体はTwitterで無料公開して、グッズ売り上げなんかで収入をあげてるだろうし、他の漫画家も例えば自分のサイトで全部漫画を無料公開して広告収入に移行するとか。
自分のサイトにして出版社介さなければ変な制約なく自分の好きな漫画が描けるし、やり方なんていくらでもある。
実際漫画村みたいな海賊版サイトはどんな法律を作ったところで抜け道を作って出てくるだろうし、漫画は徐々に無料の時代に入っていくと思う。
それを無理に全部潰す!ってやってたらキリがない。最終的にはインターネットを潰すしかなくなると思う。
だったらもう思い切って、無料で見られることを前提に他で収入をあげる道を作ってもいいんじゃないかなぁ。出版社は他で打ち上げをあげる方法を考えればいい。それによって新しい漫画の可能性が広がることに期待している。
漫画村が現在エラーになっているようなんで、それに乗じて書いて見ました。
ヤバT、岡崎体育とかはにわか向け邦楽ロック。
ギャグ枠のバンドが嫌いなんですがこの気持ちわかります?
ヤバTの『集まれPARTY PEOPLE』岡崎体育『MUSIC VIDEO』
めっちゃ売れましたね。でもこの辺聞いてるのって多分邦楽ロックをガチで好きな層ではないと思う。というか普段はEDMとか聞いてるウェイウェイ系がこぞってネタとして聞くような音楽。高校大学の文化祭ライブでやりそう。で一定の評価を受けそう。
だって分かりやすいんだよね。
ネタに走れば聞く側、見る側は笑えばいいんだってわかってとりあえず笑いに行く。岡崎体育のライブ一回見に言ったけど確かに面白かった。音楽を普段行かない友達と行ったけど、そいつはめちゃくちゃ良かった!って言ってた。普通の音楽ではこうはいかない。
良いか悪いか。この1点でだけ勝負しているのが普通のバンドで彼らはそこの横道をいく。良い音楽をやる必要がないからね。面白いか面白くないか。音楽性なんて二の次。
しかも見る側はそこまで面白さを期待してないからハードルがそもそも低い。
YOUTUBERが受けるのと同じ原理。YOUTUBEの【ど素人】という前提があった上で、素人なのにまぁまぁ面白いのが評価されるのだ。これが面白さのみの土俵で芸人との勝負になったらそもそも勝負にならないレベルで大差の敗北だろう。
クラスの地味系女子が意外とモテるのも同じ原理。可愛い子軍団の中では可愛さが評価されるけど地味系女子では地味なのに意外と可愛いと評価を受けやすいのだ。地味子が可愛い子軍団に入ったら普通の子だ。可愛いで勝負してないのにまぁまぁ可愛いからモテるのだ。オタサーの姫も同じ原理。
音楽という土俵にいるくせに面白い。彼らは土俵で相撲を取らずにダンスを踊る。それが意外とうまい。だからアイツめっちゃダンスうまい!って評価になるのだ。相撲を取れ。
あるあるネタは誰にでもわかりやすく受けやすい
お笑いの土俵でも一番手っ取り早く受けやすいのが「あるあるネタ」。
本質的な面白さ以前に共感性を売りにする。別に対して面白いわけでもないのに「ウケる」。共感性にウケるというのが僕が笑いとはまたちょっと気がするんですよね。
モノマネとかもそう。似てる〜って。似てる=面白いという構図なんか違くね?
あるある探検隊とか、何が面白いのかよくわかりません。
ジジイがババアに甘えだすって何が面白いんじゃ。…いやちょっと面白いな。
あるあるネタってやっぱり誰にでも「わかる」んだよね。あーわかるーつって。良いか悪いかはわからないけど言ってることは「わかる」。そりゃあわからないよりわかる方が面白い。だから全然知らない人のお笑いを見るよりなんとかく共感できる方が面白くは感じる。音楽でも知らない音楽を聴くと、どうしても【良い】か【悪い】か、普段音楽を聞かない人からするとわからないんだよね。
急に横からメンバー出てくるって。いやわかるけどだから?って言う。
音楽なんてやっぱり人によって好みは大きく別れるものだ。だからバンドもどの層を狙うのか?誰に聞いて欲しいのか?それを考えながら曲を作るだろう。
でもあるあるネタやネタ音楽をやるバンドはそこを絞らない。誰でもわかりやすく共感しやすいネタをやる。ビジネスとしては大正解だよね。実際売れてるもん。
実際に前述の音楽をあまり聞かない友達も、フェスとかに誘うと乗り気ではないのに岡崎体育のライブなら行きたがる。面白い!つって。
でもやっぱりそう言う音楽が売れるようになって、どのバンドをそこを目指したら音楽は終わりでしょ。面白いが欲しかったらやっぱりお笑いを見るもん。
ライブでも体育くんはネタ系の音楽しかやらなかった。盆地テクノやってくれ。そっちが見たいファンもいるんじゃ。
書いてて思ったけど、やっぱり音楽を普段聴かない人って、何が良い音楽で何が悪い音楽か。自分の好きな音楽か嫌いな音楽か、それ自体がよくわからないんだろうなとおもった。自分も芸術関係は何が良いか悪いかよくわからないけど、猫展とかわかりやすければ興味がわく。ギャグ枠の音楽が狙ってるのはまさにそこなんでしょうね。
ギャグ枠のバンド。確かに面白いかもしれないけど、それじゃガチ邦楽ロックファンは見向きもしないぞ。
青春パンクとは一体何だったのか
メディアにジャンルごと食い物にされた音楽、それが青春パンク。
2000年代前半ごろに一気に人気が集中して一気に弾けたジャンルだ。代表的なバンドは人によって異なると思うけど、僕はゴイステ、太陽族、ガガガSPとかその辺りだと思う。僕が音楽などハマりしたきっかけ。10代の恋愛とか友人関係とか人生観の悩みを想いのままぶちまける。メロディよりも歌詞を重視した音楽性。大好きなジャンルです。今でも定期的に聞いているし未だに心に響くものがある。
なぜ青春パンクは一気に広まり一気に消え去ったのか?今日はそれを考えて行きたいと思う。
ジャンルの定義が曖昧すぎた。
一番の要因はこれ。青春パンクと検索すると上がるバンドはサイトによって多種多様。これが青春パンクという明確な定義がない。例えばロックとかポップスは明確な定義付けはないにしても曖昧ながらみんなれっきとしたイメージがある。でも青春パンクにはそれがない。
Wikipediaによると青春パンクは175R、ロードオブメジャーが代表的なバンドと書いてあったが僕は全く違うと思っている。青春パンクは青春の思いの丈をフューチャーしたものであって、上記の2バンドはどちらかと言ったらメロディー重視で歌詞は別に普通だ。
僕個人としてはゴイステの「童貞ソーヤング」こそ青春パンクであり、そこからジャンルとして爆発したと思っている。
まぁ要は衰退した理由はそこだよね。人によってイメージがかなり違う。
流行の当時はまさにそれが顕著で出てくる若手ろっくバンドは誰も彼も青春パンクとジャンル分けされた。それを狙ったバンドもいれば全然狙ってないのに青春パンクに振り分けられたバンドも数多い。
B-DASHやジャパハリネットなんかはまさにで、B-DASHはキャッチーなメロコアと言うのが本来の立ち位置。ジャパハリネットは歌謡曲だ。
なぜジャンルが明確でないと衰退するのかというと、人が青春パンクを聞きたいと思って、調べたバンドを求めているものとの違胃が生まれるからである。例えばゴイステみたいな音楽を聞きたいと思ってバンドを調べ、B-DASHを聞いたら絶対に求めているものとは違う。175Rなんかも全く違う。
本来のジャンルの広がりと違うメディア戦略としても広がり方をしてしまったせいで、視聴層がジャンルを固定できなかったのである。
そもそも青春パンクって結局なんなのか?
青春パンクはその場の思いを大声で歌うみたいなイメージだがB’zが大声で「ウルトラソウ!」(はい!)って言ったところで青春パンクではない。青春にソウルはいらない。大声だけでは違うということだ。
では悩みや主張という部分が大事なのか?ミスチルの曲はメッセージ性が強いが青春ではない。あれはアダルティーな雰囲気がどうしても抜けない。
青春パンクなんてジャンルはロック、ジャズなんかと違い、ロックバンド、ジャズミュージシャンと違い、青春パンクバンドということ自体が間違いなんではないかと思う。
なぜなら青春パンクは曲の雰囲気だけだからである。悩みや主張を大声で歌っていたら青春パンクと言われがちだが、スピッツがロビンソンを大声で歌ったら青春パンクだろうか?
違うだろうって書こうと思ったら草野マサムネがやったらそれっぽくなりそうで困るな。「だーーーーー!!!!!!れも触れないーーーーー!!!!」って。
でもそれはおかしいだろう。
要はバンドとしての定義ではなく、バンドの中の数曲しかないのだと思う。
ゴイステなんかは青春パンクと言える曲は数える程しかない。銀河鉄道の夜、BABYBABY、彼らの曲はそのほとんどが昭和の歌謡曲を思わせるような情緒のあるものだし、バンド自体が青春パンクと言われるのは違和感がどうしてもある。
全体を通して青春パンクなバンドなんてそれこそ太陽族、ガガガSPぐらいじゃないか?
ジャンルとして狭すぎるのである。まぁやっぱり青春パンクとはその名の通り、青春のように儚くて定義できない淡いものなんでしょうね。そこに無理に定義ずけしようとする方が無理なのかもしれません。
青春時代の淡い時代にもう一度戻りたいな〜と思う三十路でした。
以上です。
いや、尾崎世界観はイケメンではないだろ
尾崎世界観がイケメン扱いされているのに女の人間性が出ている。
お前はいとうあさこを見てイケメンだと思うのか?よーく目ぇかっぽじって見比べてみろ。瓜二つだろあんなもん。
女はすぐに売れているバンドマンをすぐにイケメン扱いをする。野田洋次郎はキレイなホンコンだし、米津玄師は馬。谷口鮪のフェイスサイズよく見てみろ。
勘違いしないで欲しいのは、彼らの音楽性は素晴らしい。
僕も大好きな人たちだ。でも僕は音楽を聞くのであって、音楽を見るわけじゃない。アーティストの顔面なんてどうでもいいはずじゃないのか?
確かにるろ剣を読んで剣心かっこいーとなった後に、和月の写真を見るとかなりショックなのはわかる。顔を出してない漫画家はどうしたって主人公のイメージがついてしまう。そのイメージと顔がかけ離れてたらショックを受けるのはわかる。
だからと言ってカッコイイ音楽をやっているバンドマン=イケメンは流石に暴論ではないのか?[Alexandros]は顔が曙だったら聴かないか?聴かないかもな。
女はカッコいい音楽を聴くとすぐにイケメンに見えてしまう。
音楽というのは不思議なもので女の脳のシワを激減させる効果を持っている。
カラオケで普通の顔面の男がまぁまぁ上手いだけで「カッコいい…」ってなる現象。
もちろんカッコいいと思うのは正しい反応だと思う。でもカッコいいのあくまで音楽である。容姿と音楽は基本的に相容れない。音楽がかっこいいからそのバンドが好きはイコールで繋がるが音楽がかっこいい=イケメンは全くの別問題ではないのだろうか。
ここまで女だけを差別しているように見えるから理由を書かせてほしい。
男はシシャモを見て可愛いということは思うことはある。曲が可愛いから歌ってる朝子も可愛い気はしてしまう。だがその辺男は冷酷だ。歌っている時以外の朝子を可愛いと思うことはなんてない。
ブス可愛いという言葉今後一切使うのをやめろ。うんこいい匂い!と言われて嬉しいやついるか?オブラートに包んでるつもりかもしれないが言われた側はブスしか頭に残らん。だからと言って【「ブスかわいい」じゃない「ブス」だ】もやめろ。そんなことを記事として書くな。
朝子を容姿的なの意味で可愛いと思う人なんてごくごく稀。そいつはきっと渡辺直美もかわいいと認識してる。
でもなぜか女はすぐにイケメンという扱いに走る。自分の好きなものがイケメンでないなんて許せないんですかね?自分だけはあの顔の良さをわかってる的な?残念。あなたは脳のシナプスが崩壊して視界に入る映像が歪んでいるだけです。歪んでこそ初めてイケメンに見える顔面。それってイケメンなんですかね?
ここまで書いてきて思ったけどもしかして女は遺伝子レベルで考えてんのかな?自分がその人との子供を産んだことを考えるとイケメンであってほしいという願望か?女が子宮でものを考えるという意味がわかった気がする。
好き=イケメンである必要なんてないね。
ここが男女の価値観の違いだと思う。女はすぐに恋愛に持っていく。だからホストにハマるのだ。男はキャバクラにハマったとしてもいろいろなキャバクラに行く。色々な娘と遊ぶのが普通。キャバ嬢に恋をするのはガチでモテないおっさんぐらいだ。でもホストは基本永久指名制。惚れさせることが前提だ。
好きなバンドがどんな曲を出しても無条件で好き。なぜならそれは恋だからだ。好きな人のすることは全部好きなのだ。それが女という生き物。そして覚めた瞬間に一気に解散。そこには跡形も残らない。嫌いになった元彼の挙動一つ全て嫌いになるのだ。だから女に好かれると急に売れて急に消える。なぜなら「好き」の次には「嫌い」しか来ないからだ。「好きだった」事実すら消し去りたくなるのが女というものだ。
どうせ女は尾崎世界観が坊主にしたら一気にファンをやめる。スラムダンクの桜木が坊主にした瞬間女の阿鼻叫喚が集英社に殺到したらしい。容姿が変わったって音楽は変わらないのにね。
まさに恋に恋した中学生のような状態。それを死ぬまで続けて行くのだ。クリープハイプの音楽を愛するのが男で、尾崎に恋をするのが女だ。でもそれってどうなんですか?音楽をちゃんと聞いているんですかね?川上洋平は本気で音楽をやってるのに、洋ペインかっこいい!で川上が喜ぶんですか?
MVの映像が進化したことで確かにかっこよく見えることはある。でも音楽はMVがメインじゃないでしょ。バンド側だって本来は音楽は「聴いて」欲しいだろう。
音楽は見るものじゃありません。聴くものです。ブサイクでもいいじゃん。
イケメンじゃなくても音楽がかっこよければ、そいつらはずっとカッコいいんだから。
BUMP OF CHICKEN,ELLEGARDEN,アジカン,太陽族,あの頃好きだったバンドはいつになっても僕は嫌いになれないだろうなぁ
中学にBUMP OF CHICKENの天体観測で邦楽ロックに興味を持ち、アジカンの君という花でそれは加速して、ACIDMANの赤橙でがっつりハマった。
Asian Kung-Fu Generation - Kimitoiuhana -A Flower Named You-
ASIAN KUNG-FU GENERATION/君という花(kimi to iu hana)-live-
それからELLEGARDENでメロコアにも馴染んでゴイステで青春パンクまで広がった。
同年代で邦楽ロック聴いてる人なんてバンドは違えど大体おんなじ軌跡を辿ってると思う。
思えば音楽っていうのは嫌気がさすぐらい思い出に密接に絡んでいて、
マイナーな音楽が好きでavengers in sci-fiとかgroup inou
とか聞いていた22歳の頃の彼女はその時まだメジャーではなかったサカナクションを教えてもらって、今だにサカナクションを聴くとその人を思い出す。
3年前に付き合ってた原宿のショップ店員はLiSAが好きでフェスなんかでも一緒に見に言ったせいでLiSAはその娘を思い出すし、ELLEGARDENの細美武士がガチで好きだったあの娘のことは細美の声を聴くたびに顔がちらついて、今はだいぶ聴きづらくなってしまった。
太陽族を聴くと高校の通学路を思い出すし、RADWIMPSを聴くと実家でずっと流してた毎日を思い出す。
ガガガSPは音楽好きだった友達を思い出すし、ワンオクはダサかったアイツが好きだった。
今、パンプは万人受けするような当たり障りない曲作ってるしアジカンは政治に口出して世間に敬遠され、ELLEは解散。細美武士はmonoeyesとハイエイタスで好きな音楽やってる。ゴイステの峯田は俳優。
あの頃好きだったバンドはもうあの頃の音楽はやっていない。
もちろんそれが悪いことだとは思わないし、彼らは彼らで成長して今があるんだろう。
僕も前みたいに新曲を楽しみに待ったり、熱心に聞くことはなくなった。
書いてて思ったけど、そう言えば洋次郎はずっと変わらず精子の話ばっかりしてるな。
あの頃僕が好きだったバンドは、あの頃僕が好きだった音楽はもうやっていないけど、なんでかわからなけど、例えば今後彼らが例え音楽を辞めても、例えば藤くんがアイドルソングとか始めたとしても、ごっちんが汚職政治家になっても、峯田が性犯罪者になっても、きっと彼らのことを嫌いになることはないんだろうなぁと思う。
それだけ彼らが僕に与えた影響は大きかったし、音楽関係の仕事なんかしてないけど、それでも彼らの音楽に出会ってなかったら、好きになってなかったら僕の人生は良くも悪くも全く別の方向だった自信はある。
男は別名保存、女は上書き保存とはよく言ったもので、これから先にどんだけ好きなバンドが出てきたとしても、きっと僕の中の彼らを超えることはないんだろうな。
こーゆーのも女の子は上書き保存なのかな?
男とは我ながら自分勝手なもので、彼らもきっとあの頃やっていた音楽が今もきっと本当にやりたい音楽で、世間の流れとか求められるものがあって違う音楽をやってるんだと思うし、あの頃付き合っていたあの子もきっと今でも本当は僕のことを好きなんだろうなぁと本気で思ってしまう。
オヤジ世代とかが聞く音楽を僕らは理解できないことは多いけど、それはきっとぼくらも同じで、僕らが好きな音楽はやっぱりこれからどんな音楽が流行っても、あの時の音楽が一番なんだろうな。
そんで子供が生まれたらそれをきっと理解してもらえないんだろうな。
未だに「君という花」は僕の中でずっと一番好きな曲で、あの曲を初めて聴いた衝撃を、きっと超える音楽に出会うことはこれから先にもないと思う。
そんできっと僕の下の世代に「君という花」を聞かせても、きっとその衝撃はわかってもらえないんだと思う。
でもきっと下の世代も子供の世代も孫の世代も。彼らにとっての衝撃はきっと別の音楽で出会って、それに影響されて、彼らの中で「あの頃好きだった音楽」としてずっと残るんだろうなぁ。
太陽族を久し振りに聞いて、色々と思い出してこんなことを書いてみました。
以上です。
お花見の思い出は鳥のフンと共にある
お花見で桜見てる人0人説。
お花見で桜見るのって場所についた瞬間に「わー!キレー!」って行った時だけじゃないですか?それ以外はずっと酒。
お花見なんて外で酒飲むためのいい訳でしかない。昔華丸大吉のどっちかが「刺身は醤油を舐めるための言い訳でしかない」って言ってて「まさにだ!」と僕は感動したんだけどお花見もそれ。もっとも酒を飲むことすら何かのいい訳でしかないのかもしれなが。
美しい桜の下で男は女を口説き、女は男を取り合う。おっさんは部下に武勇伝を自慢し、部下はこいつ死なねぇかなと願う。ババアは旦那の愚痴を言い、じじいは帰りに子供を轢く。
桜が光ならその下にいる僕ら人間はいつだって影。
美しいものの下にはいつだって汚いもので溢れている。
桜は言い訳にぴったりなのだ。これは完全に憶測なのだが、上野公園がなぜあれほどお花見の場所として栄えたのか?立地的には新宿御苑の方が何倍もいいのに。広いとか露店が出てるとか理由はいろいろあると思うが、答えは一つ。隣が鶯谷だからです。異論は聞きません。鶯谷といえば都内随一のラブホ街。人間の欲望の街。毎日何人もの老若男女がただセックスをしにやって来る。お花見なら女を誘いやすいし、外で騒いだら疲れるし休み無くなる。そんな時にちょっと休んでく?というのに最適なのだ。
なら初めから鶯谷とかラブホ街でお花見しろよ。なんて声が聞こえてきそうだが全然わかってない。そんなだからお前は童貞なのだ。
必要なのは言い訳なのだ。上野でお花見があくまでメインという口実が必要なのだ。お花見が人気なのも上野公園が人気なのも全て性欲が原因です。
僕は埼玉のど田舎出身なのだが、初めてしたお花見は小学生ごろに近所の組合みたいな集まりでお母さんと一緒に行った小さな町の公園だった。小学生ながらくそ退屈だなと思ってコーラを飲んでいたのだがそんな時に何かが腕に当たった。よく見たらそれは鳥のフンだった。僕はそれをお母さん抱きつくふりをして擦りつけたのを今でも覚えている。今だに実家に帰るたびに母親にその話をされる。
先日友人をみんな誘って上野公園でお花見をしたのだが、これが最悪だった。
始発前から場所取りをして大きな桜の下をキープしたのだが、これが大間違い。
大きな桜は鳥が止まりやすいんですよ。
大量の鳥が止まる。そうなるとどうなるか?
鳥のフンの雨あられである。1分に一個落ちてくる鳥のフン見たことありますか?マジで。まじで!
お花見は木の下でやるべきじゃないなと学んだのだけど、よく考えたら1分に一個って多すぎないか?あれ鳥が人間を追い出そうとして嫌がらせしてたんじゃないかという気がしてきました。
男女10対10ぐらいのお花見だったんだけど何人もの女がクソまみれになってました。ウケる。女が鳥のフンを食らうたびに僕は大笑いをしていたのだけれど、そんな女にイケメンの友人が、汚れちゃったから洗いに行こうと行って消えて行きました。欲望渦巻くあの街へ。