根拠のない自信だけで生きてきた

ふざけた事を真面目に考察するネタブログです

襟を立てる人を信用できない

この前サブカル女子のWちゃんと飲みに行って、いつものようにバカにしていたんですよ。

サブカル好きなんてメインカルチャーから逃げた臆病者じゃん」つって。そしたらばね。「いやジョニーさんもどちらかといったらサブカル系ですよ」とな。

 

ほわ?

何を言ってるんだこのポンコツサブカルクソビッチは、サブカルにやられて脳までサブカルのように縮小していったのかな?と思って訳を聞いてみたところ「メインカルチャーとはAKB.EXILEやジャニーズを始めとした国民的人気を誇るもの。そしてそれらを疑いもせず受け入れる人達のことです。オタク、EDM以外の音楽好き、ゲーマー、漫画好き、そんなの全部サブカルでしょう。メインカルチャーを語るなら襟を立てろ。坊主にライン入れろ。クラブで踊れ。バーベキューしろ。フットサルしろ。ジョニーさんそーゆーことできないでしょ。」

ショットガンで脳天を打たれた気がした。完敗だ。論破とはこう言うことだったのか。

 

そもそもよく考えたらはてなでブログ書いてる時点でメインカルチャーとは程遠い。時代はインスタだ。YOUTUBEだ。僕ははてなでシコシコ文章を書いている。写真や動画の作るワイワイした雰囲気があまり好きではない。無機質なテキストで表現したい。これをサブカルと言わずに何がサブカルなのか?

 

僕はサブカルと言うものを勘違いしていたのかもしれない。確かに僕は国民的人気というものを毛嫌いするきらいがある。サブカル女子をいじったのだってそうだ。僕はその子がちょっと好きだ。つまり、好きな子をいじめちゃうタイプなのだ。完全に童貞の心理。童貞はどう考えたってサブカルだ。童貞がメインカルチャーになった世界は間違いなく衰退するのだ。

 

メインカルチャーとは襟を立てることだ

 

突然だが僕はジャケットやコート、ポロシャツの襟を立てる人が理解できない。同時にタトゥーやカラコン。派手めなウォレットチェーン。坊主にラインなんかもってのほかだ。

 

なぜか?それらは僕にとって、カッコよさを意図的に表現したものなのだ。かっこいいと思う行動を明確に意図的にとっていると言うことなのだ。凄い。自分に圧倒的な自信がない限り触れられるものではないのだ。それらのアイテムは僕らのような村人が伝説の勇者の剣に触れるようなものだ。絶対に抜くことはできない。抜けないだけならまだしも、下手をすればその覇気におされ、体は溶け、魂を侵されてしまうだろう。

 

襟を立てると言うことはそれだけ危険性を伴うのだ。かっこよさの象徴。特段する必要のないかっこよさをあえて身につけると言うことなのだ。僕らにとっての格好良さは自然から生まれるものなのだ。無造作ヘアーがかっこいいのだ。無地を着こなすのが一番カッコ良いのだ。ガチガチに固めた髪型はカッコわるいのだ。気だるげなのにやるときはやるタイプが一番かっこいいのだ。完全に漫画の影響。

 

身だしなみとしてのファッションならばわかる。でも襟を立てるのは違う。襟を立てると言うのは、格好良さをアピールする行為なのだ。自分のファッションはイカしてるぜ!高らかにそう宣言しているようなもの。風除けとか言い訳はあるかもしれないがそんなもん嘘だ。大して変わらん。俺はかっこいい。そう宣言できるなんて…。だがまさにそういう人達がカルチャーを作っていくのだと思う。

 

襟を立てると言うことはまさにメインカルチャーなのだ。何もしなくてもかっこいいなんてガチのイケメンか漫画の中だけ。でも普通の男はカッコ良くなりたい。だからカッコ付ける。普通のことなのだ。まさにメインカルチャー

 

だがそれが心の弱いものはまともに見ることができないのだ。カッコ良くない人がカッコ付ける。そうしないとカッコ良くなれないんだから当たり前だ。でも、それを恥ずかしいと思ってしまう。だから僕は襟を立てることから逃げ出した。メインカルチャーから逃げ出した臆病者です。サブカルとは僕のことでした。Wちゃんごめんなさい。