ブログ移転のお知らせ
どうもこんにちは。
私このブログの更新は約半年前にとても飽きてしまいまして、
新しくこちらで書いております。
デザインやら何やらもこっちのしょうもないデザインより頑張ってます。このブログみたいなただのネタブログではなく、比較的真面目に性格の悪いネタブログです。
上記ではヒノウという名前でブログをやってます。
是非よろしければそちらをご覧ください。
女の子が好きだ(うんぽこ音頭は宙に舞う)
「いやいや。大体の男がそうだろう。何言ってるんだ君は」
多分そんな事を言う人の思う女の子を好き具合を軽く超越するぐらい好きだ。
もう友達も家族も兄弟も全員女の子だったらいいのにとすら思うぐらい好きだ。
旧姓という文字にゾクゾクする
LINEの友達一覧の画面を眺めることがある。プロフィールに一言を入れる人BGMを設定してる人。お気に入りの歌詞や座右の銘、何も入れない人、様々な人がいるが、その中で異彩を放つのが【旧姓:〇〇】である。
この文字を見るとあっさりした文章とその重みにゾクゾクしてしまう。下半身に響く。
ヤベェやつ来たと思ったかもしれないが、勘違いしないでほしい。カップルを見たり、妊婦さんを見たりして「セックスしてるーー!!」ってゆうそうゆうアレではない。そんな童貞臭の溢れ出る男子中学生のような浅はかな思考ではない。LINEのプロフィールなどという気軽な場所に、あまりにも重たい意味のある旧姓という文字があることに僕は発情しているのだ。
旧姓というのは、姓を捨て、新しい人生を歩み出したという意思表明なのだ
独身から誰かの夫になり、名字が変わった。単純に名字を変えてしまうと結婚の事実を知らない友人たちがわからなくなるから旧姓も入れる。実際はそれだけの単純な話なのだが、この旧姓という文字には、深い意味があるのだ。
数々の恋愛を得て、色々な悩みもあり、考えに考え、この人が一番だと決意して結婚した。そうして今の姓がある。私は過去の自分ではない。私は過去の田中かなえでは無く、今はもう新しい高橋かなえなのだ。そういう熱い決意を感じ取ってしまう。
旧姓という文字を見るたびに僕の頭では尾崎豊が「ぼくーがぼーくであるために!」と大声で歌いだす。そして盗んだバイクで走り出す。
アンパンマンが顔を変えるのとは訳が違うのだ。私はこの男を選んだ。失敗するなんて微塵も思っていない。田中を旧姓と呼んだことは、かなえにとってはもう田中に戻る気は無い、なぜならそれはもう過去の姓なのだ。かなえの旧姓という主張にはそういう決意があるのだ。その決意が、LINEの、ただの文字の一言から垣間見えてしまう。
例えば好きなアーティストの歌詞を書く人がいるが、あんなもんに対した意味はない。この歌詞に感動しました!その文字の発する意味はそれだけだ。感想は「そうですか」だけである。座右の銘だってぼくはこの言葉を大事にしている!と言われたところで「はいそうですか」で終わりである。
ところが旧姓という文字は、見る人がみれば衝撃なのだ。例えば元カノの名前の横に旧姓と書いてあったら、それだけでセンチメンタルになれる。それが好きな女だったどうだ。さらには現彼女だったりしたら最悪だ。もはやただの文字ではない。旧姓という文字には一人の人間を壊すほどの力があるのだ。
この話広がるか?と不安になってきたが安心してほしい。旧姓という文字はエロいのだ。
本格的にヤバいやつになってきたかもしれないが安心してほしい。僕は夫婦という事実そして自分がうまれたという事実にお父さんとお母さんがセックスしてることを知り、お父さんに嫌悪感を抱くような処女丸出しの女子中学生ではない。旧姓という文字が持つ属性に発情しているのだ。
旧姓という文字には旦那を感じない
旧姓という文字には、人妻属性があるのだ。気をつけて欲しいのは、夫婦属性ではなく、人妻属性ということ。人妻というのは、いわば男にとってみればセックスシンボル。エロスの塊。人妻とぶつかればうっかりちんぽ入っちゃった現象も起きると本気で思っているのが男だ。
だからと言って夫婦を見たり、結婚式に行って新婦にエロさを感じることはない。なぜならそこには旦那が必ずいるからだ。旦那がいる限り、女がまとうのは夫婦属性だ。だが、LINEのプロフィール文という無機質な空間において、かなえに旦那は存在しない。そこにあるのは旧姓という文字が表す人妻アピールそのものなのだ。【かなえは人妻になりました】そう書いているのと同意義。名前の横に旧姓と置くことで、かなえはたちまち人妻属性を持つ。さらには徹底的に旦那の存在を隠せば、未亡人属性すら持ちうるのである。
例えば初めて知り合った女性に自己紹介で「高橋かなえと申します。人妻です。」と言われるとどう思うだろう。一気にその女性にエロスを感じるんじゃないでしょうか?「ひっひっ人妻だーーー!!!」ってなるんじゃ無いですか?違いますか?ところでこの話誰か一人にでも伝わりますか?
1600文字も書いちゃったけどこれ誰にも伝わらない気がしてきました。
かなえって誰ですか?本日は以上。それでは。
寿司と伝統とサブカルと
あなたは女性に寿司を食べたいと言われた時、どこに連れて生きますか?
先日彼女に寿司を食べたいと言われた。彼女とはまだ付き合って3ヶ月程度。そして僕は別段お金持ちではない。
1人で寿司を食べるときは会社帰りの通りにある回転寿司で済ますし普通にそれを美味いと思う。では彼女はどうなのか?僕にそれを知る術はない。察してくれ!という気持ちで「どんな寿司?」と聞いてみたところ、「うーん。サーモンとかホタテが食べたい!」と言われた。いやいやそーゆーこと聞いてんじゃないよ!
人と人の会話には大抵の場合、相手の想定する答えというのがある
どんな音楽聴くの?という質問には相手に自分と同じ趣味を期待するものだし、何食べたい?に対する「なんでもいい」は食べたいものにある程度の幅があって決められないという意味だ。だからその幅の中のものを答えなければハズレなのだ。
寿司食べたいに含まれるお前の中の正解の幅はどこからどこなんだ…?
この場合寿司ほど回答の幅があるものもなかなかないと思う。寿司はあまりにもピンキリ。すきやばし次郎を代表する高級料理としての一面もあれば、1皿100円のものもある。
僕も30歳男子だ。そこそこ値段のする寿司を一度食べたところでそこまでダメージはない。ただ、今までに彼女と寿司を食べに行ったことはない。つまり初寿司だ。ここでの答えは相手にとって見れば“僕の正解”となるのだ。今後寿司と言ったらこの初寿司がベースになるのだ。これから先を考えればじわじわ効いてくるボディーブローにもなりかねない問題だ。
彼女は別に気取ったタイプでもなければ気を使う間柄でもないんだが、ここで100円寿司に連れて行くのはどう考えても不正解だろうし、三十路として僕も恥ずかしいがじゃあ1皿300円だと逆に100円寿司を避けてギリギリをついたみたいな魂胆が見えてなんかやだし。逆にそれなりのちょうどいい寿司屋ってなかなか無くない!?
余談なんですが、寿司ってゆうのは伝統ある食べ物みたいな扱いをされてるけど、元々はでかい握り飯にネタをくっつけて醤油を塗った言わばおにぎりみたいなもの。当時の人にとっては今のファストフードみたいな感覚だったらしいですよ。誰だ寿司を高級料理にしたやつは。お前が高級料理にしなければこんな悩みは生まれなかったんだ。何が高級料理だ。魚を米に乗っけただけじゃねぇか!!!
そもそも僕はあまり食に興味がない。むしろ食べるという行為がめんどくさいし1日1粒で1日の栄養も空腹も満たせるサプリ早く完成しないかなとすら思ってる。高い美味しい物を食うより旅行に行ったり服を買ったりしたい。寿司にそこまでの価値を求めたくないのだ。というか寿司ってそんな値段で変わります?ぶっちゃけ伝統にお金を払ってるだけで味はどこも大して変わらないと思います。米がふわふわとか、ネタが新鮮とか、その程度の違いはあるかもしれないけど、その差に数万の価値があります??こちとら舌バカで通ってるんじゃ!天然と養殖の違いとかわからんわ。人間で行ったら箱入り娘が養殖でイケイケギャルが天然ってことだろ!!お前らは箱入り娘とイケイケのギャルどっちが好きなんだ!違うな。言うなら風俗が養殖で素人が天然か。やっぱ天然の方がいいわ。でも素人が10万で風俗嬢が1万だったらどっち行きます?…微妙だな。
だいぶ脱線してきたので一旦元に戻します。
結局僕は寿司の回答が出せずに、僕はハンバーグが食べたい!!と5歳児顔負けのワガママを展開してことなきを得たのですが。そもそもいい加減寿司を高級料理にするのやめませんか?って話なんですよ。美味いけども。作るのにめちゃくちゃ手間もコストもかかってるならわかる。ツバメの巣は入手がめちゃくちゃ困難だから高いわけで、高い=うまいわけではない。こめとネタの仕込みに1週間かかるとかならわかる。でも寿司は築地で魚仕入れて捌いて米に乗せて。大変かもしれないけど値段ほどの価値なくないですか?まぁ店の雰囲気づくりの一環としての値段設定なんだろうけどね。
一時期寿司はサブカルの流行最先端になった
ところで一時期、もう廃れたかもしれないが、サブカル女子に寿司が大受けした時期がある。もう一年前ぐらい?ヴィレバンで寿司をモチーフにしたグッズが大量に売られていた。サブカル関係は嫌いじゃないんだがあればマジで全く意味がわからなかった。当時のサブカル女子は「寿司可愛い!!」と行っていたが僕からするとマジで頭おかしいのか?とすら思ってしまいましたよはい。
サブカルはそもそもメインカルチャーから外れたものなんだから、そもそも流行ってものと別の次元だと思ってたんです。
サブカル女子の間で流行って矛盾してません?サブカルの中にもメインカルチャーってあるの??サブカル女子なんてそもそも流行にノレずにサブに行った人たちじゃねぇのかよ。僕はメインのゴリゴリ働いて残業して金を稼いでる同世代の波に乗れないからこんなサブのサブとも言える場所でブログ書いてるわけですしおすし。
お前らは本気で寿司を可愛いと思ってるのかと。サブカル女子で流行だからサブカル主張のために寿司グッズを身につけてるだけじゃないかと。サブカルは本来自分が好きなものを追求して行き着いた先でしょうに。サブカルでまで流行に乗るのやめようよ。
高級料理から100円料理からいつにはサブカルの象徴にまでなる。寿司のピンキリは値段の幅だけじゃなかったんですね。と言うことで彼女に好きが食べたいと言われた場合は僕はハンバーグが食べたいんじゃ!!と叫ぶ。これが正解です。
本日は以上。それでは。
画質の悪いAVに興奮する
ど直球の下ネタです。ちなみに今浅野いにおと音楽の関係を書いた記事と28歳で初恋の人を抱いた話を並行して書いてるのですが、浅野いにおの記事にかれこれ3週間、初恋の話に1週間かかっているのにこの記事は約一時間で完成しました。下ネタは正義。下ネタなら無限にかける気がする。
最近のAVはどれもハイビジョン。とても綺麗ですね。チンコもマンコもめちゃくちゃ高画質。本物が目の前にあるぐらい。昔、僕らの世代なんかはVHSの色褪せたザラザラの画面で可愛くもない女のセックスで興奮していたのに。どでかいモザイクでギザギザになったマンコに興奮してたのに。携帯で30択ぐらいこーゆー■■■■■■■が大量に並んでいて1つが正解のエロ画像、残り全部広告のふざけたサイトで必死になってエロを探していたのに。AVの5分間だけの画像を30分ぐらいかけてダウンロードして見ていたのに。全然うまくもない中学生の方がもっとうまい絵描くぞっていうエロマンガをわざわざ学校帰りに公衆トイレで制服から私服に着替えてエロ本屋に入って買ってたのに。*1
それが今じゃ高画質なエロが無料で見れる時代。無修正さえ無料で見れる時代。おじさんは今の子が羨ましいですよ。
でもね。でもこれだけは言っておきたい。
汚い画質だからこその興奮というのはある
エロっていうのはね。綺麗ならOKじゃないんですよ。リアルならOKじゃないんですよ。聞いてんのかSOD!
例えばエロを扱った芸術。女優のヌード写真集とかじゃないぞ。あれは芸術じゃなくてただのエロだ。裸婦のデッサンとか、ビーナス像とかね。あれで興奮できますか?はっきり言ってデッサンが上手ければうまいほどエロさを感じないと思う。逆に全然うまくないのに乳首らへんがちょっととんがってたらなんかエロい。もっと言えば凸って漢字だけで乳首と考えるとエロい。美しさを求めるとエロさはどんどん無くなるんですよ。
壇蜜に色気を感じても新垣結衣や堀北真希にエロを感じないのも同様。いやガッキーに求められたら抱くけど全力で。そこはもはやエロとかどうでもいい。純粋に愛。
エロマンガの世界で言うとわかりやすいけど、一般紙エロの最高峰、ToLOVEるなんかがいい例。あれで抜けますか?綺麗な線、綺麗なスクリーントーン。絵はめちゃくちゃ上手い。ただ、あれにエロさを感じれるだろうか?僕はほぼ無理。興奮しない。僕だけか?僕だけだったらこの記事丸ごと話が通じなくなるな。まぁいいか。ここは俺のエロを語る場所だ。
いいか?エロは綺麗なものじゃないんだよ!!
女性の裸は綺麗か?遠目で見たら確かに綺麗かもしれない。でもさ、マンコってグロいじゃん。乳首もよく見ればボツボツしてるし。綺麗なピンクな女なんてほぼいないだろ。女だって寝起きの口は臭いし、マンコは普通に臭い。(ちなみに一度シャワー浴びずにマンコ触ったら臭すぎてチンチン勃ちませんでした。どんだけ洗っても3日匂いとれなかった。あれ何だったんだろ)
エロは美しいものじゃないんですよ。エロは汚れたものなんです。エロは隠すべき汚点なんです。
綺麗な女優が綺麗なベットでプロのカメラマンに撮られてた映像を綺麗な画面で快適な空間で見たってエロさは半減するばかりなんだよ!!!わかれそんぐらい!!お前らだって男だろうが!!!!!
エロはなぁ…エロっていうのは!!!橋の下に落ちてるきったないエロ本をこっそり家に持って帰って見つからないように家族全員が寝静まった後に真っ暗な部屋で懐中電灯を忍び込ませて布団の中で読むのが一番興奮するでしょうが!!!!
すいません取り乱しました。
でもパッケージが綺麗な女優がなきゃ売れないというのもわかる。わざわざブスのAV買わないし。だからAV業界がこうゆう流れになるのもわかる。でもね、ネットサーフィンで有料だったら絶対見ないやつの中にこそ宝はあるんです。
どれだけ画質が進化しようと、綺麗に見れればエロいわけじゃないんですよ。隠れてるからこそエロなんです。だからと言ってモザイクがあればいいってわけじゃない。汚い画質で無修正なんだけど画質のせいで大事なところが良くわかんないぐらいがベスト。
目悪いんだけどコンタクトしたまま抱くより裸眼でよく見えないまま抱く方が興奮する。男ってそういうもんでしょう。
僕は最近昔好きだった画質の悪い昔のAVを見てこの子も歳をとったのかなぁ…とセンチメンタルに浸っています。
*1:制服だと売ってくれない
進化論から見るイケメンのつまらなさ
偏見の塊ことジョニーです。どうも。
負け惜しみのようなタイトルから失礼します。決して負け惜しみではありません。決して。負け惜しみではありませんから!!!
読み飛ばさないでちゃんと考察しましょうよ。イケメンの何がダメか?そこのジャニーズ好き。そこの面食いクソビッチ。お前らを俺が論破してやるからよーく聞いとけ。
イケメンの何がダメが。理屈で全て解いてやる。
イケメンの話はつまらない。マジで。
後輩に一人、ガチのイケメンがいる。その辺のアイドルですら叶わないレベルのイケメンである。だが、壊滅的に面白くない人物なのである。全ての物事をカッコいいかダサいかのみで判断している。その考え方がそもそもダサいだろ。これは僕の妬みからの感情ではなく、女性からもその点は言われている。なので間違いない。でもそれはおかしな事じゃない。彼がダメなわけなんじゃない。イケメンは生まれてこのかた、話術を必要としなかったからである。
イケメンで話も面白い人会った事ありますか?え?ある?よく思い返してくれ。それは何となく面白い雰囲気とか、ノリがいいとかそう言うんじゃないだろうな?イケメンは顔面だけでそういう雰囲気を作り出す。ガチのイケメンに限って、面白い人はほぼないと思っています。一部例外がいるのもわかってる。でも言わせてくれ。はてなブログという孤高の島でぐらいイケメンに勝たせてくれ。
イケメンはほとんどの場合つまらない。ダーウィンの進化論に基づいて説明しよう。イケメンのつまらなさは進化論によって証明されているのである。
キリンを例に挙げて解説していこう。なぜキリンの首が長いのか?
ダーウィンはキリンは首の長さの違いが自然淘汰の条件の一つになったと考えた。
・同じ種の中でも首の長さが少しずつ違う個体が生まれる
・エサが豊富でない地域では首が長く高い場所の葉を食べられる個体が残る
・首が長い特徴が子供に伝えられる
そうやって、首が長いという特徴を持った個体が生き残り、少しずつ他の個体より有利な首の長さを持つ個体が子孫を残し、何世代も代を重ね、キリンは首が長いのが標準となった。
これが進化論の考え方。つまり生き残るために首の長いキリンと首の短いキリンで生きるのに必要な首の長いという特徴を持ったものだけが生き残り、それ以外のものが淘汰された。だからキリンには首の長いキリンしかいなくなった。という考え方である。
ではイケメンはなぜイケメンとして生き残っているのか?ここではイケメン、ブサメン、フツメンは完全なる別種族として考える。
イケメンがイケメンとして生き残った理由
それは間違いなく顔面である。優れた顔面がメスを呼び込み交尾をする事で、イケメンは生き残ったのである。イケメンに話術は必要ない。なぜならその顔面だけで異性を呼び込みことができるからである。そしてイケメンは遺伝子レベルで相手の顔面も重視する傾向にある。なぜなら自身が生き残っているのは顔面のおかげという遺伝子レベルの刷り込みが確実にあるからだ。だから交尾相手も顔面を基準に選ばれる。
それが何代も続き、イケメンのイケメンっぷりはさらに研ぎ澄まされて行くのである。つまりイケメンはその顔面だけで種族を残し、現代に生き残っている。この場合のイケメンに必要な特徴というのは、もはや顔面のみ。進化論の考え方では、必要のない部分は削ぎ落とされ、必要な部分に進化は集中するのである。イケメンは顔面のみに進化を集中し、話術などそれ以外の部分を削ぎ落とした存在なのだ。
つまりイケメンに面白という要素は必要ないのである。イケメンとして生まれた時点で、いま現代の人生においても面白は必要なくなる。なぜなら圧倒的な顔面さえあれば、女はすぐに寄って来るからである。女は連れて歩く男をファッションの一部と見る層がいる。ブランド物のバックを持ち歩くのと同じ心理。デザインが気に入ったならいいけどブランドロゴ前面に出したバックとか見栄以外の何者でもない。つまり男も自分の見栄の一部とみなし、顔面さえ良ければOKという層は確実に存在するのだ。イケメンもそこを狙い顔面のみにパロメーターを集中させた種族なのである。
それに対して熾烈を争うブサメン・フツメンの生き残り戦争
イケメンがつまらないというのはもう論破が完了した。ではそれに対してフツメン・ブサメンはどうなのか?フツメン・ブサメンの生き残りは熾烈を極める。
フツメン・ブサメンの生き残り戦争は顔面を基準にしない。その分野はすでにイケメンの奪われているからである。では何を武器にメスを捕まえるのか?石器時代で言えば、すでに弓や槍などの強力な武器はイケメンに取られた状態である。フツメン・ブサメンの武器はイケメンが捨てていった残り物しかないのである。その辺の石ころで戦うか知恵を絞り、巧妙に罠を仕掛けるしかないのだ。確実に顔面という最強の武器以外が必要になるのだ。
例えば身長など、顔面以外の容姿にパロメーターを降るものもいれば、優しさ、紳士的な振る舞いに割り振るものもいる。金を武器にするべく仕事ができることや、頭の良さなどに降るものもいるだろう。だが、それらは全てイケメンの捨てたゴミ達。だから全てにおいて、話術は必須なのだ。金があれば女を釣れるという人もいるだろうが、金を得るのにも話術は必要。相手を楽しませるという行為の上で、イケメンはその顔面だけで女を濡らすことができる。だがフツメン・ブサメンはそうはいかない。身長や性格面、頭脳だけでは女は寄ってきても更にそこから選考が行われる。だから話術が必要なのだ。
顔面以外の能力に加え、必ず話術はある程度の能力は必須なのだ。そのレベルはもちろん顔面以外の能力によって求められるものは違うだろう。例えば僕は身長が普通よりも少しないぐらい。金を持っているわけでもない。そして性格が特にいいわけでもない。となれば生き残りに必要なのは類い稀な話術なのである。話術がなければ女にありつくことができず、ジュニー一家は滅んでしまうのだ。だから幼少期から話術を磨いてきた。磨きに磨き、戦えるだけの話術を育んできたのである。現在30歳。顔面だけで生きてきたイケメンに負けるわけにはいかないだろう!!!!面白というのはフツメン・ブサメンがそれでも生きて残るために作り出した苦肉の策なのである。そこまでイケメンに踏み入られたら流石に許せねぇよなぁ!!!
例えば芸人でガチのイケメンっていますか?徳井とか渡部とかイケメン扱いされている人はまぁいるが、ガチで誰もがイケメンというレベルの人はいない。はっきり言ってほとんどはフツメンの部類である。彼らもまた、先祖代々顔面という要素を捨て、面白にパロメーターを振り切り、生き残ってきたのだろう。
ただ、書いていて思ったんですけど、壊滅的につまらないブサメンて割といるよね。 どうやって今の時代まで生き残ってきたんだ?進化論を逸脱してる。脅威の存在だなブサメンて。
PS:
イケメンってイケメンなだけでなんか気を使いません?後輩なのに偉そうだから一回怒りたいんだけど、その顔面を向けられただけで萎縮しちゃう。この顔に怒っていいのだろうか…って。イケメン怖い。
襟を立てる人を信用できない
この前サブカル女子のWちゃんと飲みに行って、いつものようにバカにしていたんですよ。
「サブカル好きなんてメインカルチャーから逃げた臆病者じゃん」つって。そしたらばね。「いやジョニーさんもどちらかといったらサブカル系ですよ」とな。
ほわ?
何を言ってるんだこのポンコツサブカルクソビッチは、サブカルにやられて脳までサブカルのように縮小していったのかな?と思って訳を聞いてみたところ「メインカルチャーとはAKB.EXILEやジャニーズを始めとした国民的人気を誇るもの。そしてそれらを疑いもせず受け入れる人達のことです。オタク、EDM以外の音楽好き、ゲーマー、漫画好き、そんなの全部サブカルでしょう。メインカルチャーを語るなら襟を立てろ。坊主にライン入れろ。クラブで踊れ。バーベキューしろ。フットサルしろ。ジョニーさんそーゆーことできないでしょ。」
ショットガンで脳天を打たれた気がした。完敗だ。論破とはこう言うことだったのか。
そもそもよく考えたらはてなでブログ書いてる時点でメインカルチャーとは程遠い。時代はインスタだ。YOUTUBEだ。僕ははてなでシコシコ文章を書いている。写真や動画の作るワイワイした雰囲気があまり好きではない。無機質なテキストで表現したい。これをサブカルと言わずに何がサブカルなのか?
僕はサブカルと言うものを勘違いしていたのかもしれない。確かに僕は国民的人気というものを毛嫌いするきらいがある。サブカル女子をいじったのだってそうだ。僕はその子がちょっと好きだ。つまり、好きな子をいじめちゃうタイプなのだ。完全に童貞の心理。童貞はどう考えたってサブカルだ。童貞がメインカルチャーになった世界は間違いなく衰退するのだ。
メインカルチャーとは襟を立てることだ
突然だが僕はジャケットやコート、ポロシャツの襟を立てる人が理解できない。同時にタトゥーやカラコン。派手めなウォレットチェーン。坊主にラインなんかもってのほかだ。
なぜか?それらは僕にとって、カッコよさを意図的に表現したものなのだ。かっこいいと思う行動を明確に意図的にとっていると言うことなのだ。凄い。自分に圧倒的な自信がない限り触れられるものではないのだ。それらのアイテムは僕らのような村人が伝説の勇者の剣に触れるようなものだ。絶対に抜くことはできない。抜けないだけならまだしも、下手をすればその覇気におされ、体は溶け、魂を侵されてしまうだろう。
襟を立てると言うことはそれだけ危険性を伴うのだ。かっこよさの象徴。特段する必要のないかっこよさをあえて身につけると言うことなのだ。僕らにとっての格好良さは自然から生まれるものなのだ。無造作ヘアーがかっこいいのだ。無地を着こなすのが一番カッコ良いのだ。ガチガチに固めた髪型はカッコわるいのだ。気だるげなのにやるときはやるタイプが一番かっこいいのだ。完全に漫画の影響。
身だしなみとしてのファッションならばわかる。でも襟を立てるのは違う。襟を立てると言うのは、格好良さをアピールする行為なのだ。自分のファッションはイカしてるぜ!高らかにそう宣言しているようなもの。風除けとか言い訳はあるかもしれないがそんなもん嘘だ。大して変わらん。俺はかっこいい。そう宣言できるなんて…。だがまさにそういう人達がカルチャーを作っていくのだと思う。
襟を立てると言うことはまさにメインカルチャーなのだ。何もしなくてもかっこいいなんてガチのイケメンか漫画の中だけ。でも普通の男はカッコ良くなりたい。だからカッコ付ける。普通のことなのだ。まさにメインカルチャー。
だがそれが心の弱いものはまともに見ることができないのだ。カッコ良くない人がカッコ付ける。そうしないとカッコ良くなれないんだから当たり前だ。でも、それを恥ずかしいと思ってしまう。だから僕は襟を立てることから逃げ出した。メインカルチャーから逃げ出した臆病者です。サブカルとは僕のことでした。Wちゃんごめんなさい。